筑紫哲也さんの追悼特番を見た。



と言っても運転しながらのカーナビで、だったので、
且つ最後の30分程度だったのだが。





だが、筑紫さん生涯最後の「多事争論」だけは、
車を停めて見入った。





まるで、自身の最期を悟ったかのような語り口。






内容は、現在の政治状況や国の状況、
それらを自身の闘病生活になぞらえての結論。




「この国はガン(癌)である」





ということであった。







筑紫さん曰わく、政治と云うのは、結局のところは単純である、と。







要は、限られた資源を(金)を、どこに配分するのか?



若年層なのか、今まで日本を支えた高齢者なのか、
はたまな外国への支援なのか…



資源が足りなければ、どう増やすのか…?





それを考え、納得させ決定するのが政治だ、と。








それは、筑紫さんがガン闘病から行き着いた結論であるそうだ。





つまり、ガンという異分子が発生すると、
通常の生命維持活動に普通なら回される力が、
ガンを殲滅させるために力を回さなければならない。





よって、通常の生命維持システムにまで支障が出て、
結局ガンを自由にさせてしまうことになる…


ということである。







奇しくも…






手前味噌になるが、私は以前のブログで、人体健康の基本は、
「配分」と「循環」である(①)(②)と書いた。






血液などの液体的成分の「配分」と「循環」が適切であることが、
健康体の基本である、と。




要は、それを邪魔する行為、生活習慣、環境を、
排除、もしくは中和出来るか?…

を考えることが肝要である、ということであった。







死の直前の筑紫さんの言葉が、
まさに真の言葉として突き刺さる…




「この国はガンである」






要は原資も足りず、尚且つ次から次へと配分の優先順位を変えざるを得ない事態が持ち上がり、
その上、それを強烈なリーダーシップで、現時点の優先順位を示してくれるリーダーも不在。







まさに「ガン」であり、いまはそれを排除することに優先的に配分せざるを得ない。




だが、それが本当に正しいかどうかをジャッジする「主治医」がいない…









筑紫さんは言った。





問題の根本はシンプルである、と。





だが、根本はシンプルで、諸悪の根源は分かったとしても、
その解決法がシンプルである、ということではない、
とも語った。






これは、私のようなアスリートパフォーマンスや、医療に従事するものにとっても重要な概念である。





いや、全ての仕事、
事象に対して。









さて、筑紫哲也さんについてであるが、
好き嫌いは当然有ろうが、
一貫して報道、キャスターを通し、
真実を伝える事に粉骨砕身、人生を捧げた生粋のジャーナリスト、
日本を代表するニュースキャスターであったことは間違いない。





アメリカなどで、政治などへも影響を与えた著名なジャーナリストやキャスターが多数いたが、
それに匹敵する人材を日本国内で探した時、
影響力という点で、筑紫さんに並ぶ人が他にいるだろうか?





テレビというメディアの限界、
テレビの功罪、というものも有るだろうが、
それらも理解し、覚悟し、全て受け止めた上で、
ニュースキャスターとして最終的には自発的にフェードアウトしていった筑紫哲也さんに、
プロフェッショナルを感じずにはいられない。









プロの仕事、生き様に敬意を表したい。









心から御冥福を祈る。








合掌。