先日、およそ半年あまりに及ぶ、
とある企業(フィットネスクラブ運営)のスタッフ向け研修が終了した。





私の最後の言葉が、冒頭の言葉である。






日本は恵まれている。






アフリカの飢餓の子ども達や、北朝鮮の食べ物にも事欠く子ども達にとっては、
まさに職業選択の自由もあるはずもなく、
仕事があるとするならば、
その目的は「金銭を稼ぐため」。



仕事のやりがいとか、
そんな事を言ってる余裕はない。





だが、幸か不幸か今の日本では、
「やりがいを求める」とか、
「好き、を仕事ににする」
とか、ある意味ふざけた事を平気で口に出来る。





それは、日本が何だかんだ言っても、
恵まれている事に他ならない。





とは言っても、それが日本の現状。






職業選択の自由がある恩恵は、
有り難く受ければ良い。








だが、
本来は、
やりたい仕事に就けただけで、本当に有り難いことなのである。







だが、その恩恵を、
くだらない事で棒に振るケースが後を絶たない。






不正。
不祥事。




小さな事では、私利私欲で、信頼を失う。
節操の無い社内恋愛で、信頼関係や人間関係を壊す…








望んで望んで、やりたい仕事に就けたにも拘わらず、
そんな事で仕事を棒に振る…











例えば、私は自分の仕事に誇りも持っているし、
愛してもいる。






ある意味、この仕事でなければならない、
自分なりの「理由」がある。






それを棒に振るような事は、
とてもでないが出来ないし、
出来てしまう人の気が知れない。







24時間、仕事の事を考えているとは言わないが、
やりたくて努力して、やっと就けたこの仕事。





この大事な仕事が出来なくなってしまうような行為は、
私には恐ろしくて到底考えられないのである。








つまり…






それが出来てしまう人は、
どんなに理屈を付けてみても、
要は




「仕事を愛していない」





と、思うのである。






職業を選ぶ権利があり、
少なからず努力をして、その職業に就けて、
それを冒涜する行為は、
余りにも無礼な行為と云わざるを得ない。







私も、決して立派な人生を歩んでいないが、
この一点だけは譲れない。








最後の研修で、
そんなことを語ったのである。






これは、アスリートの諸君にも言えることである。





ま、綺麗ごと…






ですかな~(笑)