新聞に、ある中学校の道徳教育への取り組みが掲載されていた。


京都市立の弥栄中学校である。




定期的に、生徒の親への道徳の授業を実施しているそうで、
「保護者道徳」なるものだそうだ。



この学校では荒れる生徒の内面を捉らえようと、様々な教材を選びながら、道徳の充実に取り組んできて、徐々に成果が出て来た。
だが、その成果を支え定着させる仕組みが必要と考え、
「一緒に子育てを見つめ直す必要がある」とのことから保護者道徳が始まったそうだ。



つまり、「子供の道徳性は、大人が一丸とならないと育たない」ということのようだ。




この「保護者道徳」の内容も、
一方的にセミナー形式で教員が話すのではなく、
教員自身の親との確執の経験を話したり、
時には校長自らの苦い体験を吐露したりしながら、
保護者と互いに「自分たちは自身の親との関係で、何をどう感じてきたか」
などを真剣に語り合ったりするらしい。



その地域の教育委員会の職員の話が興味深い。

「力で押さえようとすれば、上回る力で返される。
道徳の授業は、生徒の心に寄り添うこと、待つことを教員に教えてくれる」


だが、多くの学校は道徳の授業に対しては消極的のようだ。



その判断基準の一つが、
「道徳を月曜の一限目に設定していないか」。


休み明けの月曜一限目は、一般的に授業に集中させにくく、
さらに土日に行事があると月曜が振替休日になることが多く、
例え集中できなくとも、潰れても構わないという意図が見え隠れし、
道徳授業への手間の反発が存在するらしい。


そのあたりを指導により是正し、かなり改善されつつあるようだ。



だが、想像するに、
地方によって取り組みにはかなりの温度差があることと推察する。



私が携わる専門学校教育においても、
先日から「心」について書いているように、
やはり「道徳教育」が肝になると考えている。



ついこの間も、
登校途中の学生がタバコをポイ捨てしたのを教員が咎めたところ、
「うるせえ」と毒づき、強くさらに注意したら走って逃げ出したことがあったらしい。


「もう授業に出なくてよろしい」
と告げると、
「分かったよ!けっ!」というような態度だったそうな…



私もこの話を聞いた時には憤慨したが、
では、助走をつけてぶん殴って性根を叩き直せば解決するか?といえばそんなこともなく、
では筋論やあるべき論で事が済むか?といえば、そう単純な話でもない。。







もはや成人になっているような人間に対し、
いまさら「道徳」か?とも思うが、
もちろん中学校と同じような手法が適切かは別にして、
社会に出てからの「生き方」は、
やはり心の在り方で左右されることが大と思う。



方法論は別にして、
一考の余地があろう。



でも…




そんなことしてると、
社会に出て大きなしっぺ返し食うんだけどね~



「自分で痛い目みねぇ~と分かんね~だろ」
というのも真理だし、
本音ではアタシもそう思うが…


難しいね~



ま、そいつの人生なんだけど。