久々に説教魂に火がついて、偉そうに能書き垂れちまって…


合宿での一コマ。


私の目からはチンタラ見えたので、表題の言葉を。


「てめえら、魂込めてトレーニングしてんのか、コラ。」
と。




では、「魂を込めたトレーニング」とはどういうことか?


端的に言うと、
「目標と、それに対する自分なりの目的を明確に、且つ認識し続ける」
ということになる。



例えば、現状が日本で二番手、三番手の選手とする。
日本一になるためには、当然現状のままではなれないので、
良い点を伸ばすか、弱点を改善・向上するか。
厳密に言えば、県大会で勝つか、日本で勝つか、アジアで勝つか、環太平洋で勝つか、オリンピックで勝つか…

それらと自分の能力を比して、改善ポイントや方法、掛ける時間も変わってくる。


つまり、自分がどこを目指すのか、という明確な意識と、
それに対する自分の能力の客観視と、
それに向かう自分のモチベーションと、
それらを「強烈に意識する」
ということである。



つまり「ただ、やるな」ということで、
それが「魂を込める」という意味である。



選手の意識レベルによっては、トレーニング自体が目的になってしまうことがよくある。




これは仕事にも言えることで、
例えば私の仕事でもあるトレーナーを目指す場合でも、
セミナーや講習会などの「勉強」それ自体が目的になってしまっており、それに本人が全く気付いていないケースが頻繁にある。



何故か?というと、
勉強それ自体が満足感(自己満足)を得られ、
トレーニングも、ちょっと辛い思いをすると、それだけでも「オレって、頑張ったジャン」感覚が得られるからである。



競技に於いては、
県大会レベルなら(その選手の現状レベルによる)それでも何とかなるかも知れないが、
以前のエントリーでも触れた、いわゆる「ラフなトレーニング」では、どうにもならない。



これは、トレーニングならばコーチやトレーナーが、
仕事ならば上司が指摘してやらないと、ほとんど気付けない。



気付けるとしたら、ある種の「宗教」感を有する選手。
あるいは、自分に課せられた(課した)「タスク」に対して、強烈なまでの愛情をもっている選手。


これとて、仕事も同様だろう。




例えば、これが「お天道様」でも良い。
(これも以前のエントリーで触れました。)



競技選手に関して言えば、
多くの日本選手と外国選手との大きな違いは、
この違いだと考えている。




もっと言えば、引退後の人生にまで影響を及ぼす、とも思っている。



この件は、また改めて触れましょー。
(覚えてれば)



さ、あらためて。




魂を込めてトレーニングしてますか?



魂を込めて、部下育成してますか?



魂を込めて、会議に出席してますか?


魂を込めて、お客様(クライアント)をお迎えしてますか?






魂を込めて、仕事してますか?