先日、上場企業に勤める親類と議論になったことがあった。


ネットカフェ難民や、ニートなど、
最近の若者が陥っている現状の原因についてである。



親類は、若者の「甘え」が原因であると言う。



直接的にはそうとも言えると思うが、
「原因」となると、果たしてそう単純に片付けられるか?



私は、根本的原因は、
この国に「希望」が無くなってしまったことにあると考えている。
いや、正確には「希望を持ちにくくなった」と言った方がよい。



以前にも書いたことだが、
昭和40年代前半生まれまでは、モノ心ついた時はまだ日本は高度成長期。
普通に頑張れば努力は報われ、
さほど努力しなくても何とかなった時代。


そういう時代に生まれた世代と、
バブル崩壊後に生まれ、「真っ当に努力しても、貧乏くじ引くだけか…」を目の当たりにしてきた世代では、
深層心理に刻まれたデータは自ずから異なるだろう。



もちろん、それでもコツコツと研賛を続け、ひとかどのの人物になった者もいるだろうが、
それが出来なかった人間を単なる「甘え」と片付けられるだろうか?



高度成長期に生まれた人間と、
バブル崩壊後に生まれた人間、
全く同じ努力ではダメだった、と言えると思う。

その差を埋めるのが「教育」であると思うが、
社会情勢が変わっているにも拘わらず、
全く同じであったことに問題があると思う。




教育、と言うと、
どうしてもカリキュラムや教科書をベースにしたものを思い浮かべると思うが、
教育とは、そればかりではない。



家庭に於いて、
お父さんが毎日、遅刻もしないで会社に行くことや、
夫婦喧嘩しても何とか修復している姿や、
隣り近所とのコミュニティーや…



家庭や町内会、全ての大人の「背中」が教育である。



また、社会情勢によって、
努力の仕方も異なる。



いや、正確に言うと、
「変わらないもの」と「変えるべきもの」があると思う。
普遍的なものと、キレイ事で済まない部分。
「社会って、実はこうなんだ」
という部分を教えずして、
「今の若いやつは甘えている」と片付けるのはいかがなものか。



もちろん、私も若い世代に接する事が多いので、
「甘いな~」と感ずることばかりだが、
必要な情報を与えずして来てしまって、
それで甘ったれてる、と言うのも大人の傲慢とも思えるのである。


昭和30~40年代前半生まれは恵まれていたのだ。
頑張っていれば何とかなった。



だが、それ以降は頑張り方を工夫する必要があった。
もしかしたら学校教育も家庭教育も変える必要があった…



だが、どんなに時代が変わろうとも、
変わらないこともあった。



挨拶をする。
時間を守る。
など…



「頑張っても仕方ない」が、そういう普遍的なことまで頑張らせなくしてしまった…




尊敬できる大人、
尊敬できる先輩(社員)、
が近くにいなかった。
キレイ事でなく、社会ってこうなっている、と事実を語ってくれる大人がいなかった…




もちろん、そんなもんいなくても、
ちゃんとやってる若者もいる。



だが、全ての若者にそれを望むのは酷だし、
大人の怠慢だと思うのである。



やはり、妥当性のある、真っ当な「背中」を見せてやるしかないのではないだろうか。