「頑張りましょう」
「頑張って下さい」

は、実に便利な言葉である。
特に人に対して何らかの指導のようなことをする場合、
特に意味もなく、「頑張って下さい」と付け加え、
何となく話を締める、なんて使い方をし、
とりあえず収まりが良い気がする。



学校やスポーツ現場、
フィットネスクラブなど、そこら中で乱発されている、非常に汎用性の高い言葉だ。




だが、「頑張る」ってのは、
よく考えると眉間にシワを寄せ、何となく人として不健全な感じがして、
第一、美しさは感じられない。



「頑張る」と言うと、
「いま出来ない事を出来るようにしろよ」
や、
「いま自分が想い描く理想の状態にないとしたら、それになれるように努力しろよ」
と言われているようで、冷静に考えると心地が悪い。



そう考えると、そもそも「頑張る」必要があるのか?
その前に、いま目の前にあることや、いまやっていること自体を「楽しく」感じられることの方が大切ではないだろうか?


例えば、勉強もそれ自体が十分楽しいことだろうし、
運動やトレーニングも、「目標」を持って「頑張る」時点で苦痛になり、
やっている瞬間自体は結構アドレナリンが出たりして、楽しいものである。



もちろん、目標を持ち、達成した画を思い浮かべて楽しめる人はそれで良いが、
実は目標ありきで、それに囚われ過ぎて、結果としてその瞬間を楽しめず、目標にも到達出来ず、目標を持ったが故に「挫折」することにもなる。


「楽しんでる余裕なんてないよ」という反論が聞こえてきそうだが、
実は楽しめるか、楽しめないかは、
自分の心の在り方が決めるようである。



だから、
「楽しんで下さいよ」
と言うのも、本質的には違うと言える。
「楽しむように、頑張って下さい」
と結果としてなり、やはり心地が悪い。



う~ん。

日本語は難しい…





それに、「頑張る」という言葉のイメージが、
やけに「固い」「硬い」「堅い」感じがする。



かくいう、私もまだまだ修行不足で、
つい意味なく「頑張りましょう」と言ってしまうのだが、
個人的には随分前から

「普通に行きましょうや」
「適当が良いんですよ。適当が。」

と努めて言うようにしている。



「普通で良いのよ」
「適当がイチバン」



ま、その「普通」「適当」ってのもなかなか奥深いですが…



ただ、むやみやたらに「頑張る」のも、
「頑張らせる」のも良くないですなぁ~、と思った次第で。



まあ、たわ言なんで「普通に」受け止めて下さいやし。