知人に就職活動中の若者が何人かいたり、
企業で採用担当の人間がいたり、
かくいう私も、学校で教鞭を執っているので、昨今の若者の実態に触れる機会は多い。
そんな中、今週号のAERAは、
「トンデモ内定社員」と題して、最近の就活学生の驚愕の実態を特集している。
活字というのは不思議なもので、
何故かそれだけで、もっともらしく見えることもあり、簡単には納得しない習性が身についているが、
自分の実体験と重なる部分もあり、合点のいくことも多かった。
今年の就活学生あたりから、いわゆる
「ゆとり教育」とやらが始まった世代らしく、
端的に言うと、基本的に「諦めている」感覚で、「横並び」意識や、ゆとり教育の悪影響で、「できないヤツはとことん出来ない」世代だそうだ。
「出来ない」とは、何も勉強に限らず、
(勉強なら、私の方が遥に出来ない…)
必要に応じて自分をさらけ出す「自己開示」も不得手らしい。
これは例えば、学校の授業などで、
「質問ある人~」と言っても手を挙げず、
授業が終わってから「質問あるんですが…」と個別に列を作ったりすることも含むらしい。
皆の前で質問出来ないと言うのは、
いわば「自分を開示出来ない」ことに繋がるそうで、
そういう意味では私も経験があり、納得出来る。
ホントかどうか知らないが、
運動会の徒競走でゴール前で手を繋いでゴールした世代らしいから、
恥をかけないと言うか、「横並び」が間違った方向で身についているのかも知れない。
ただ、私は、
だからと言って「個性」とやらを、やたらとアピールしてくる学生も、
どこか「うさん臭い」と思う。
どーせ、どこかのマニュアル本の真似事だろうから。
記事にもあるが、
ある学生は「自分達は『SMAP世代』」と言う。
『世界にひとつだけの花』にあった、
「ナンバーワンにならなくてもいい、
元々特別なオンリーワン」
というフレーズを真に受けた世代、ということのようだ。
確かに、「間違った横並び」を植え付けられた世代には、何とも耳障りの良いフレーズだったろう。
だが、「ゆとり教育」を受けざるを得なかったのは彼らの責任ではない。私などは、全く勉強しなかった「ひとり勝手にゆとり教育」だったから、そればかりが原因とも思えない。
やはり「親」や、
あるいはそれに匹敵する「強烈に影響を与えられる人物」との出会いが無かったことが原因であろう。
そもそも、「オンリーワン」というのは、「ナンバーワン」よりグレードが高い。
この世に存在するだけで「オンリーワン」というのは綺麗事で、
実際は「他の追随を許さないナンバーワン」のことだ。
「個性」がどうのこうの、というのも胡散臭いことこの上ない。
まずは現状の社会がどんな案配で成り立っているかを推察なり学習するなりして、
ウソでも良いから、まずはそこに乗っかってみることからしか、
真の「個性」は醸成されないはずだ。
第一、「オンリーワン」は、
自分が「オンリーワン」だと叫んでも全く意味が無く、
他者に「オンリーワン」と思われて「オンリーワン」なのである。
恐らく、今の若い人の周りには、
綺麗事を言う大人ばかりで、「ホントの事」を言う大人がいないのだろう。
いつの世も、「ホントの事」は耳障りだから。
だから、私のように浮いてしまう…
あ、でも結構上手くやってんすよ。
俗世間では。
企業で採用担当の人間がいたり、
かくいう私も、学校で教鞭を執っているので、昨今の若者の実態に触れる機会は多い。
そんな中、今週号のAERAは、
「トンデモ内定社員」と題して、最近の就活学生の驚愕の実態を特集している。
活字というのは不思議なもので、
何故かそれだけで、もっともらしく見えることもあり、簡単には納得しない習性が身についているが、
自分の実体験と重なる部分もあり、合点のいくことも多かった。
今年の就活学生あたりから、いわゆる
「ゆとり教育」とやらが始まった世代らしく、
端的に言うと、基本的に「諦めている」感覚で、「横並び」意識や、ゆとり教育の悪影響で、「できないヤツはとことん出来ない」世代だそうだ。
「出来ない」とは、何も勉強に限らず、
(勉強なら、私の方が遥に出来ない…)
必要に応じて自分をさらけ出す「自己開示」も不得手らしい。
これは例えば、学校の授業などで、
「質問ある人~」と言っても手を挙げず、
授業が終わってから「質問あるんですが…」と個別に列を作ったりすることも含むらしい。
皆の前で質問出来ないと言うのは、
いわば「自分を開示出来ない」ことに繋がるそうで、
そういう意味では私も経験があり、納得出来る。
ホントかどうか知らないが、
運動会の徒競走でゴール前で手を繋いでゴールした世代らしいから、
恥をかけないと言うか、「横並び」が間違った方向で身についているのかも知れない。
ただ、私は、
だからと言って「個性」とやらを、やたらとアピールしてくる学生も、
どこか「うさん臭い」と思う。
どーせ、どこかのマニュアル本の真似事だろうから。
記事にもあるが、
ある学生は「自分達は『SMAP世代』」と言う。
『世界にひとつだけの花』にあった、
「ナンバーワンにならなくてもいい、
元々特別なオンリーワン」
というフレーズを真に受けた世代、ということのようだ。
確かに、「間違った横並び」を植え付けられた世代には、何とも耳障りの良いフレーズだったろう。
だが、「ゆとり教育」を受けざるを得なかったのは彼らの責任ではない。私などは、全く勉強しなかった「ひとり勝手にゆとり教育」だったから、そればかりが原因とも思えない。
やはり「親」や、
あるいはそれに匹敵する「強烈に影響を与えられる人物」との出会いが無かったことが原因であろう。
そもそも、「オンリーワン」というのは、「ナンバーワン」よりグレードが高い。
この世に存在するだけで「オンリーワン」というのは綺麗事で、
実際は「他の追随を許さないナンバーワン」のことだ。
「個性」がどうのこうの、というのも胡散臭いことこの上ない。
まずは現状の社会がどんな案配で成り立っているかを推察なり学習するなりして、
ウソでも良いから、まずはそこに乗っかってみることからしか、
真の「個性」は醸成されないはずだ。
第一、「オンリーワン」は、
自分が「オンリーワン」だと叫んでも全く意味が無く、
他者に「オンリーワン」と思われて「オンリーワン」なのである。
恐らく、今の若い人の周りには、
綺麗事を言う大人ばかりで、「ホントの事」を言う大人がいないのだろう。
いつの世も、「ホントの事」は耳障りだから。
だから、私のように浮いてしまう…
あ、でも結構上手くやってんすよ。
俗世間では。