ハンマー投げの室伏選手が、いまは論文作成に取り組んでいる、という。
テーマは「バイオメカニクス」。



昨年は出場全八試合で全勝。
記録も82m台をマークと、安定ぶりを発揮。
さぞやトレーニングに明け暮れていると思いきや…



ハンマーの計測器を自分で作製して実際に測る作業を、
専門家の意見を参考にしながら映像解析などを進めており、
学生の実技も研究の材料。

「自分の投てきがどういう動きになっているか、瞬時に分かれば、選手にフィードバック出来る。」


もちろん自身のトレーニングも怠っていないが、室伏選手にとって、
「研究を進めること、学生を指導すること、自分が練習することは、目標を達成する上ですべて必要なこと。」
らしい。



彼はこう語っている。


「合気道や舞踊で言えば『達人』と呼ばれている人は、身体を上手に使っていて、そういう人が長く一つのことを出来る。
トレーニングで怖いのは『慣れ』だと思うし、出来るだけ単純に反復させないように方法を考えている。」--




やはり凄いな…彼は。

これが世界のトップたる所以だろう。



比べては失礼で、
レベルは天と地ほど差があるが、
私も専門学校で教鞭を執っている理由も、近いものがある。


自分が色々なことを理解したり、納得してきた事柄は、
あくまで『自分』という枠でのことである。
学力もそうかも知れないし、感受性や理解力、創造力や想像力、などなど。


それゆえ、自分の「当たり前」は必ずしも当たり前ではないし、
自分の納得は万人の「納得」ではないことが多い。



結局、人に教えることは、
自分への客観視の度合いを高めることであり、 いわば「教えながら教えられ、ニカメ三カメで自分を客観視する
ことになる。



彼が言う「研究」 も同様の意味合いがあるであろうし、
「研究・指導・練習」という柱は、
言い換えると自分、あるいは自分がやっている競技を360度全方向から見る、ということになろう。



ハードルの為末選手もそうだが
一流アスリートは頭が良い、という証明と言える。

もちろん、ここで言う「頭が良い」は、学力ということではない。




たとえば、室伏選手は「慣れが怖い」と語っているが、
トレーニングには「ラフ」なトレーニングと、「非ラフ」トレーニングとがある。


つまり「単に力が出ていれば良い」ということは競技にはほとんどなく、
トレーニング(特にウェイトトレーニング」も、ただ筋力さえ発揮できていれば良い、という「ラフ」トレーニングでなく、
どのように身体を使い、どのように力を伝えているべきか?を考えさせながら行う「非ラフ」トレーニングでなければならない。


(無論、「筋力を高める」というポイントのみに絞り、気分転換を含め、そういう「ラフ」な時間があっても良い。トレーニングタイムの中にも「オン」と「オフ」があるのも可。)



「ラフ」トレーニングももちろん力をそれなりに使うので、身体はそれなりにしんどいのだが、
慣れてしまうと実は結構「楽」なものになる。
単に力さえ出していれば良いから、「脳」は意外に楽なのである。
ましてや慣れ親しんだトレーニング種目(ベンチプレスならベンチプレス)ならば、
満足感がそこそこあるが故に、それで「やった気になる」感があるのがやっかいだ。



つまり、一流アスリートは感覚的にこういうことが分かるので、
「頭が良い」とは、たとえばそのようなことである。



全ての選手が室伏選手のように研究が出来るわけではないが、
「考える」「客観視する」意識は持てる。
そのためには本を読んだり、映像を見たり。
大事なことは単純に見たり読んだりするのではなく(何もしないよりは良い)、
他者の考えや創作に触れ、自分と違った価値観に触れたり、
何故そのような考え方に至るものなのか?ということを理解しようとする思考に成長があると思われる。



身近なものでも何でも、
勉強になる、と思えば勉強であり、
競技に関係ある、と思えば全てが繋がるのである。