f7ef9035.jpgこの写真は挿絵がわり。

新年明けてから一日も休みが無く、
明日は久しぶりに仕事が少ないので、食事を兼ねながら一杯やってたらblogネタが浮かんで来てー








簡単に「分かる」人がいる。
分かった、なんてそんな簡単に口にして良いのか?
と私は思っている。


もちろん、何かの指示や命令を受けて、その内容を「理解した」の「分かった」は、また意味が別。
ここで指すのは真理に迫るが如くの本質的な意味の「分かった」である。


例えば、私はトレーナー業や手技療術を通した人体追究の専門を生業としているが、
実は未だに「分かった」レベルに至っていない。


理解度や習熟度を他人と比較することは出来ないが、
仮に私と同じ到達度とした場合、
「分かった」と表現する人もいるかも知れない。


だが、例えばトレーナーとしたら、
自分が担当するアスリートに100%結果を出させるような状況にまでならない限り、
「分かった」ことにはならない。


ビジネスなどの分野においても、
何かの商品企画で、開発に関わった全ての商品が大ヒットして、初めて「分かった」ことになる。

野球の世界で言えば打率10割出来て「分かった」ことになり、
ドラマを制作する人は、例えば常に視聴率が15や20%をマークして、初めて「分かった」が許される。



そんなの無理だろ?と思ったろうが、



そう、ほとんど難しい。
不可能にも近い。



つまり、人間なんて、
何事も「分からない」。
ほとんどの場合「知った」だけで、「分かる」わけがない。
逆に言えば「分かっちゃいけない」。


もし「分かっちゃったら」、
人間、そこでおしまいである。



だから簡単に「分かった」なんて言っちゃならんのである。