先日、将来は世界レベルを目指したい希望を持っているアルペンの選手に会う機会があった。
膝の調子が悪いらしく、リハビリとトレーニングの相談を受けた。



まだ中学生だが、都のスキー連盟では有望選手らしい。



リハビリの事とは別に、中年のおせっかいだとは思ったが、一言今後のアドバイスを。



「たとえ嫌いでも、勉強をしっかりせい」
ということである。


これは誤解されると困るのだが、
成績として表れるに越したことは無いが、
結果として偏差値などには表れなくとも、
「勉強をする姿勢、何かを考え学び、という習慣を嫌がるな」
という意味である。



私はこういう仕事を25年近くやって来ているので、
その中で世界レベルの選手に携わってきた。
オリンピックに行った選手も数多い。


水泳、バレーボール、バスケット、格闘技、スキー、…


共通しているのは、「頭の悪い選手は一人もいない」という一点であった。
もちろん学校の成績が良い選手もいたが、そうでなくとも「物事の考え方の¨ツボ"」のようなモノが抜きん出ていた。


要は、広い意味で「頭が良い」ということである。



私なりに、その理由を考えると、
まず一つは
「最終的には、筋に命令を発するのは脳である」ということと、
「人の話やアドバイスを理解したり、他の人が気付かない重要なポイントに気付くのは、頭の悪い人には出来ない」
ということである。


頭が悪い、というと表現として不適切に聞こえるが、
分かりやすく表現すると、こうとしか言えない。
別の言い方をすると、
「重要なポイント、勝負所に気付ける能力」と、
「その勝負所で辛抱して踏ん張れる能力」
であると思われる。



これはアスリートに限らず、社会人でも学生さんでも、全てに当てはまる。
だが、なかなか分からない。
分かったとしても、そこで頑張れない。踏ん張れない。



これを身につける方法論は色々あるのだろうが、分からなかったら「勉強する」に尽きる、
学校の成績に結び付くかは別にして、「意欲」の問題だ。
ある一時期でも良い。



結局、「文武両道」というのも、
学問と武道が出来る、勉強とスボーツが出来る、という問題ではなく、
全ては通ずる、という意味だと思われる。



逆に言えば、世界レベルのアスリートは、
必ず「頭が良い」のである。


逆も真なり。