学校で教鞭をとっている関係上、
息子、娘のような年齢の若い人から相談を受ける機会がある。



よくあるのは、スポーツ系の学校であるが故に、
「サッカーで身を立てたい」
「バスケットで食っていきたい」

などといったこと。



何を隠そう、私も夢を追って生きてきた。
高校を卒業してから、10年近くも親から勘当されていた時期もある。
一般的な観点で言えば、普通の社会人っぽくなったのは30近くになってからだ。
納得の行かない人生を送ってモヤモヤするぐらいなら、思い切って想いを貫く人生を選択するのは悪くない。



ただ、前述のような相談をしてくる学生は、
「学校の先生には言いにくい」と言う。
だから私のような外部の非常勤講師に聞いてくるのだが、
やはりこのような考え方は、真っ当に大学を出て、普通に職に就いた人には分かりづらい事であるので、当然だろう。
大抵は、
「バカなこと言ってないで就職しろ」
「夢を追うのも良いが、まずは親を安心させてやれ」
と言うのが教員のスタンダードだからだ。



しかし、これはこれでひとつの正論である。
「夢を追う」という情熱は、実は意外に長く続かないものだからだ。



「夢を追う」と言って、その想いを10年持ち続けられた人間は
自分の周りにもほとんどいない。



私が考えるに、夢を追おうと決意する前に、
ある種の「覚悟」が必要であると思う。
私も、その壁に当たった記憶もあるし、
それで廻り道をせざるを得なかった事もある。



キーワードは「貧乏」と「見栄」である。
もちろん、基本は親の援助などはない、という前提だ。
パパやママが助けてくれるなら、精一杯スネをかじった方が楽だ。
それで納得出来るなら…



話を本題に戻すが、
夢を追求しようと思えば、どうしても貧乏はツキモノだ。
私も一ヶ月、飯に塩をかけて食って生き延びたこともある。
どうしても喉を通らない時は、そこに水道の水をかけて流し込んだことも。

自称・水茶漬け。


まずは、そういうイメージをしてみて、
耐えられるかどうかをシミュレートしてみること。
イメージで「やっぱダメかも」というぐらいなら、夢は諦めた方が懸命。



さて、イメージの想像をクリアしても、次の壁がある。


それが「見栄」。



夢を追って貧乏暮しをして、それには耐えられても、
年齢を25、28、と重ねると、同級生などは大学に行ったヤツも既に就職し、
それなりの給料ももらい、ポーナスか何かもらい、
車など買って彼女なんかとデート。楽しい休日を送っている。
中には結婚するヤツも出てくる。


それに引き換え、自分は…
好きなものも満足に食えず、欲しい物も自由に買えない。
友達と飲みにも行けないし、遊びにも行けない。



そういう周囲に、果たして己を惑わされず、自分を貫くことは簡単ではない。
表現しがたいほどの孤独と、敗北感に襲われる時期がある。
年齢が進めばなおさらだ。


クラス会や同窓会にも行きにくくなり、
どうしても友人とも疎遠に。
自分の選択にも疑問を持ち始めたりする。
「夢なんて追わないで普通に就職して、それなりの給料で楽しくやりゃ良かった…」
などと…


で、夢を諦め、普通に就職しようと思ったら、
30歳近くになって何のキャリアもない人間には大した職も無く…







と言うような事も含めて自分の中でシミュレートしてみて、
たとえイメージの中だけとは言え、そこで「それでも自分は耐えられそうだ」と覚悟出来るなら、夢を追う人生を選択すれば良い。



ま、大抵の若い人は、
ここまでの話をすると尻込みするが。


要するに、自分のやりたい事をやろうと思ったら、
当然それなりのリスクが伴う、というだけのこと。


ましてや、親はいつまでもいるわけではない。
基本的には自分よりは早くこの世から居なくなる。



最後に頼れるのは、自分だけ。


そういう意味では、組織に群れるのも、
悪い選択ではない。



さー、どうしますか?