今日も午前に患者さん、
午後はパーソナルトレーナーの養成講座、
夜は再び患者さんの施術、とフル稼働。
そんなに稼いでどーすんの?…って、そんなに稼げてませんから。
スイマセン…



ここ最近、改めて人に物事を「指導する」ということを考える。
(大抵、飲みながら。今日も。)


知識があって、その事柄が自分で出来るということと、
それを人に教えることは別問題。
特に、自分がすでに無意識に出来てしまっていることは、
自分が出来なかった時代のことが忘れ去られてしまっていて、
今現在出来ない人の立場に成り切れない。


つまり、自分が無意識に出来ている部分が多くの人にとって重要な部分なのだが、
その最も重要な部分が無意識に出来てしまっている、という事実に自分が気付いていないので、
結局、人に指導する場合、その人の根本的な問題点に気付いてあげられない場合が多いのである。



このことは、恐らくトレーニング指導でも、
施術行為でも、はたまたビジネスコーチングのような人材育成や教育全般において、共通のことと思われる。


これは自転車の乗り方を教える行為に似ている。
人によっていろいろ方法論はあろうが、
自転車に一度乗れてしまうと、一体何が難しかったのか、その感覚を言語化するのは意外に難しいようだ。
自転車に乗る行為で最も難しい点は、
二輪という状況でバランスをとるという行為と、ペダルをこぐという二つの行為を同時に行わなければならない点である。
また、バランスをとる為にはある程度の推進力を得なければならない。
(ジャイロ機構)
推進力を得るためにはペダルをこがなければならないが、
ペダルをこぐときは、瞬間瞬間で右に左に足の力がかかり、
それを相殺しつつバランスを保つにはハンドルを握る手で微妙に平衡を保つように調整しなければならない。

…と言うように、実はかなり複雑な行為の集合体なのである。



つまり複雑な行為が重なるので、
練習の基本はどれか一つの行為に集中できる環境にしてやることが必要になる。
最も適しているのは外力で推進力を補助してやり、
まずはバランスを保つことだけに集中させてやることが得策と思われるが、
そういう時、多くの大人がやってやることが「後ろから押してやる」ことである。


だが、この方法には問題がある。


後ろから押す、という動きは、
当然人が走ったりして押すことになるが、
人が押すというのは二本足での歩行が基本になるので、力の掛かり方に強弱が表れる。
ましてやまっすぐ押すのは意外に難しいもの。
つまり「推進力」が一定し難いのだ。
ならばむしろ、恐怖心を感じない程度の緩やかな傾斜を利用した方が、慣性に基づき推進力が一定になり、乗っている方はバランスをとることに集中しやすい。



それさえ慣れて出来るようになれば、
あとは「どの程度ペダルを踏めばどれぐらい力が掛かり、それを調整するにはハンドルにどう力を加えれば良いか」
が分かってくる。


つまり、指導の基本は、
「それが出来ない要因の内、最大の問題点の見極め」と、
自分が「無意識に出来ている感覚」があるとするならば、
その無意識の部分を自分で認識し、それを「意識化」し、さらに「言語化」することにある。


もちろん、長嶋茂雄氏のように
「キュっキュっ」とか「ブアーっと」などの感覚表現で伝わることも(人も)あるが、それは稀なケース。
もちろん、全てが言語のみで伝わるものではないが、
まずは「無意識」→「意識化」→「言語化」を簡単に放棄せず、常に模索していかなければ、プロへの道は厳しいのである。