私が日々、若い人たちに接する中で考えていることを書いた「厳しいところはやたら厳しい」わけシリーズ、最終回。



①挨拶(礼)。

②こちらが何度も話をしている事柄について、質問してくること。

③“無礼”な態度。


に続いて、最後の④番目、「泣きつき」。


これも主に学生さんが多いのだが、
例えば私が教鞭を担当している科目では実技もあるので、
成績を付けるための評価方法を期の最初に伝えるようにしている。
と言うのは、トレーニングの実技などについては、
体重の何%を正しいフォームで挙げられるようにしろ、などの課題になる。
机上の勉強で済むものは直前に試験範囲を伝えれば、
最悪、一夜漬けで勉強すれば何とかならないこともない。
ただ実技に関しては、筋力を高めるにしても、フォーム習得にしても、
一夜漬けでは不可能な為、必ず数ヶ月前に「やるべきことをやらないと、直前に困るよ」
ということを理解して欲しい点も含めて、伝えている。
まあ、これは私に限らず実技系を担当している講師は同様な対応だと思う。


ところが…このようにしているにも関わらず、
試験が近づくと必ず、「先生~っ。評価の基準、ゆるくならないっすか?」

と言ってくる者がいる。
それも結構多く。


不思議なもので、例年同じだが、
そう言って来る人間に限って、ほとんどやるべきことをやっていない。
それでいて低評価を下されるのは嫌らしく、「何とかならないか」とまさしく「泣きついて」くる。
当然、私がそのような甘いことを許すはずもなく、
学生諸君は知らないが、そういうことを言って来る学生は、さらに厳しい基準で評価を下すことにしている。


私は特にこの「泣きつき」を許さない。
それは自分の長い社会人生活で見てきた中で、
勝負どころで「泣きついて」いる人間に、一流になっている人間はいないし、
ましてや自分の夢は実現できない。
いや、そのような立派は理由はさておいても、

「たとえ地味なことでも、地道に続けない事で必ず自分に報いが来る。」
「やるべきことをやらないと、取り返しがつかない事があるのが社会。世の中にはどうやっても取り返しがつかない事が存在する。」

このシンプルな命題を知っておいて欲しいからである。
確かに学生の間は、何だかんだ言っても誰かが最終的に助けてくれることが多いだろう。
だが、社会に放り出されると、そういうことは非常に少ない。
いや、表面上は「助かった」と思っても、実は裏ではシビアな評価をされていることが多い。


やらないならやらないで、むしろそれを堂々と通した方が好感が持てる。
それによって訪れる「報い」を受け入れる覚悟をして、甘んじて受け入れられれば。
やるべきことをほとんどやりもしないで、
それでいて「救ってくれ」というのは、世の中通用しない。


学生の皆さん。
もしこれを読んでいる人がいたら、覚悟して、心して私には「泣きついて」下さい。