最近、改めて「歩くこと」を色々研究している。いや、別に試験管振ってるわけじゃなく…



別途、歩く時間を取って試したり、
普段の生活の中で、歩くときの自分の身体の中の変化に耳をすませてみたり。



以前のエントリーでも書いたことがあったが、
競技選手であっても、水泳以外のスポーツは全て“歩くこと”が基本になっている。
もちろん、その前に正しく“立つ”事があるが。


基本的には、大地に対してどのようにどの方向に力を掛けて、それを自分の身体を通して反発させていくかが、
身体パフォーマンスの重要な要素だからである。


数年前から、武術系から派生した鍛練方法が話題になっている。
(ここ最近はやっと落ち着いたかな?)
その中でも、野球の桑田投手や陸上の末続選手が取り入れて話題になった「ナンバ」というものがある。
ここでは詳細は割愛するが、
普通は歩くときは出した脚と反対側の手を振り出すのだが、
ナンバは同側の手を出すようにし、捻らないように身体を使うものである。
詳しくは、ネット上でも調べられるでしょうから、そちらでお願いしたい。



ただ、最近思うのは、
「このように動かした方が良い」という指導はいかがなものか?ということだ。
先入観を一切なくし、
身体が完全に脱力した状態で、
手が主導とか脚が主導とか、子供の頃から叩き込まれた概念を払拭していくと、
「身体は、本当は“こんな感じで”動きたいのではないか?」
という感覚になることが分かってきた。
敢えて筋肉的に言えば「腸腰筋」から動く感じ。別の言い方をすると、日本古来からの「腰から」動き出す感覚である。


そうすると、不思議なことに、
一般的な「脚と反対の手を前に振り出す感じ」にならない。
いや、正確には、肘から先はそのような動きになるのだが、
二の腕と肩甲骨は脚と一体化して“動きたがっている”ことがよく分かる。
文章だけでは説明が難しいが、前腕、上腕、肩甲骨が全て分離して動く感覚になる。



人はつい「このように動くのが良い」と考えがちになるが、
実際には「脚と同側の手を出して、捻らないのが“ナンバ”」ではなく、「身体が本来、どう動きたがっているか、“内なる声に耳を傾けた結果”が“ナンバ”」
ではないかと思うようになった。
いや、ナンバに限らず、どう動くべきかは、実は自分の身体が知っているのだと思える。
操体法を創始された「橋本敬三先生」がおっしゃる“原始感覚”とは、このことだろう。



話しがやや飛ぶが、操体法について少し。

――原始感覚とは、人間が忘れ去ってしまった身体感覚。
野生の生き物には備わっており、人も本来は持っていたもの。
「どのように動くのがナチュラルなのかの感覚であり、身体が不調な時は、その原始感覚に従って動いてやる事で、“歪体”を“正体”に戻すことが出来る」
という理論に沿って構築されたのが“操体法”である。――




とはいうものの、その感覚が最も難しい。
また、これを人に伝えるのが、非常に困難を極める。
この通りの力の伝え方が、全ての競技にそのまま活きるとも限らない。
少なからずアレンジメントが必要になる。



だが、それを考えるのが、これまた楽しい。



ま、こんな仕事してる人間は、大なり小なり変わり者なんで。