[尼崎脱線事故]ボウリング発覚、社長会見に異様な雰囲気 - livedoor ニュース



マンションに電車が激突するJR史上最悪の脱線事故を知りながら、ボウリングに興じていた職員。兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故は、運転士2人が救助活動をしないまま立ち去ったことに加え、4日、事故電車の乗務員が所属するJR西日本大阪支社の天王寺車掌区でボウリング大会が行われていたことが明らかになった。

「本当に申し訳ありません」。深々と頭を下げるJR西日本の垣内剛社長。事故に関する会見開始から約7時間半後、何度も繰り返された光景がまた展開され、関係者は憤りの声を上げた。



尼崎電車脱線事故から日が経つにつれて、
連日、新たな事実が報道されている。


「“日勤教育”の実態」
「過密ダイヤに苦しむ運転士」
「新型ATS装置の未整備」
「脱線防止レールの設置状況」
「事故車両に乗車していた社員の行動の問題」
「事故当日の“ボーリング大会”」
「被害者に対するJR側の対応の非情さ」


などなど… 挙げたら切りが無いぐらい。


そんな中で、ここ数日問題になっているのが、
「事故車両にいて、平然と出勤した社員と、それを指示した上司」
の問題と、
「当日、事故を知りながら“ボーリング大会”を実施した」
問題だろう。


これらは、傍から見ると、「何てとんでもない社員だ!会社だ!」
と思えるが、
これは実は、どの会社でも同様の事が起きる可能性があるし、
もしかしたら、私でも同じようなことはしてしまうかも知れない。
「非常時の判断」は一瞬のことで(その判断自体は)、
後で考えると、「何であの時、あんな行動を…」とは思っても、
その瞬間は、人にあるまじき行動をとってしまう事があるものだ。
この「判断」時の基礎となるものが、頭に刷り込まれた「教育」であり、
別の呼び方をすれば「洗脳」。
その大元になるのが、「企業理念」などである。
いわば、思考と行動をする時の、無意識の「優先順位」の問題だ。






私が以前、勤めていた会社でこんな事があった。


その会社には関西に(尼崎)支店があり、
ちょうど「阪神大震災」が起きたのである。


地震の事実をニュースで知った会社側は、
当初はそれほどの大惨事とは知らなかった為、
本社から連絡をしても、一向に連絡がつかない状況に業を煮やす。
やっと連絡がついた時、「何で連絡しないんだ!きちっと状況を報告しろ!」
と注意を促した、と言う。


後から聞けば、そんな電話も出来る状況では無かったし、
周りでは亡くなった人もいたりで、まさに超非常事態。
そんな状況も知らず、本社のデスクにふんぞり返って、
「連絡しろ!」との指示は、あまりにも非人道的であるが、
当時本社にいた自分も、上層部ほどでは無いにしろ、
少なからずそれに近い感情を持っていた気もするのだ。



この頃、この会社は急成長を始めた時期で、
大きくなっていく会社の状況に合わせて「チェーンオペレーション」という概念を前面に出し始めていて、
情報を本社に集中させる事に躍起になっていた。
そのため、社員やお客様の安全、という最優先の視点が抜け落ちていたのであった。



その後、大惨事の状況や、
その時の社員が置かれていた環境を知る事になり、
社長は目に涙を浮かべ、現地社員に詫びていたのを覚えている。
とは言っても、基本的には「利益最優先」が企業の宿命であり、
この教訓がその後生かされているかどうかは…。






このような例は、私も様々なところで長年、仕事をしているので、
多くのケースを見てきた。



「思考の優先順位」は、もちろん個人の倫理観が基礎になる事もあるが、
忠誠心や、「教育」が行き届くほど、
傍から見ると明らかに「非人道的」な「思考順位」になってしまう事は多い。
企業とは「法人」という、いわば「人」であり、
社員教育により「社風」が形成され、一人の「人」となって、
会社全体の「人格」となる。



業種によって、業務内容が即「人命」に関わるかどうかは異なるが、
その「会社の人格」の現状が露見するのは、
悲しいかな「有事」の時になる。
逆にその「瞬時の判断」が、その時の会社全体の状態を表すのだろう。



JR西日本の今回の件は、
実は誰にでも、どの会社にでも同じような行動をとってしまう可能性がある。
「いや、オレはそんな事は…」と思う人も多いかも知れないが、
「企業理念」の前に「自分理念」で動けるかどうかは、有事の際にしか分からないのである。



だからこそ「教育」という名の「刷り込み」が、企業の「品格」を決定するし、
非常に重要なものなのだろう。