前回は
私見と独断で、
「王道型トレーナー」と「雑草型トレーナー」があると書いた。
(もし気を悪くされた方がいたら、お詫びします。)
さて、今回は私もそうであるが、「雑草型」について。
④日本独自規格のスポーツトレーナー
や⑤“トレーナー”に対するオーダー(要望)は千差万別
のエントリーでも触れたが、
日本では単に「アスレティックトレーナー」という括り以外にも、
様々な「トレーナー的役割」が求められる。
そういう事情もあり、
私のような「雑草型トレーナー」も存在する。
簡単に言うと、
特に「アスレティックトレーナー」の資格も持たず、
かと言って国家資格の類い(鍼灸師、マッサージ師、理学療法士、柔道整復師、など)も持たず、
いわゆる「師匠」に付いたり、あるいは独学などで、
現場での「叩き上げ」で経験を積み、独自の活躍方法を模索して辿り付いた人々である。
現に、私も「国家資格」のようなものは一切持っておらず、
(「フィットネストレーナー」に属する民間資格のようなものは持っているが、
今の実状には全く無意味。)
基本的には「完全無欠の無資格トレーナー」であり、「究極の雑草型」である。
私の経緯を簡単に話すと、
いわゆる「整体(手技療術)」の学校を出て、
縁あって、当時(25年ほど前)、日本でのトレーナーの草分けのような方と出会い、
(当時のバレーボール、バスケットボールのナショナルチームのトレーナーを務めていた方)
そこに“弟子入り”のような形で経験を積ませていただき、
その後は色々、紆余曲折があったのだが(フィットネスクラブに勤めたり)、
最終的に今のような形になっている。
“弟子入り”はしたものの、結果的にはほとんど“独学”に近かった。
(私は体育大学も、スポーツ系専門学校も出ていない)
それなのに曲がりなりにも現在のようなスタイルでいられるのは、
何と言っても、「運」と「出会い」に他ならない。
素晴らしい「師」に出会えれば、「雑草型」も有り得ると思う。
それと、⑤“トレーナー”に対するオーダー(要望)は千差万別
でも触れたように、
現在の日本では未だに「日本独自規格」の要望が存在するので、
それの動向を“読み”、それを睨みながら自分の理論&技術武装を心掛ければ、
「アスレティックトレーナー」では無くとも、
「トレーナー的活動」は出来るチャンスはあると思われる。
(それを「トレーナー」と呼ぶかどうかは、考えは様々。)
ただし、このような「独自規格」の「トレーナー的」な人たちが存在すること自体を問題視する人や動きも多く、
私などは、あくまでも「謙虚に」「ひっそりと」存在するに過ぎないが…。
この状況を問題視する人たちの考え方は、
要は「一定の教育を受けていない“自称トレーナー”」が増えてしまうと、
日本のトレーナーの質の均一化が図れず、質の向上に繋がらず、
引いては、トレーナーの社会的地位の向上にもならない、というものだ。
これはこれで、もっともな意見であるし、私もこれについて反論するつもりも無い。
これから日本でも、様々な資格制度が出来たりして、制度化が加速するだろう。
そういう意味では、これからこの世界を目指す人たちは、
状況が許すならば、出来るだけ「雑草型」ではなく、「王道型」に近い形でのルートを通る事をオススメする。
だが言えることは、「トレーナー」と呼ぶか否かは別にして、
「様々な要望に応える“トレーナー的”人材」は、これからもやはり必要とされるだろう。
これは、「医師」が存在しても、「鍼灸師」がいなくならないのと同じ理屈である。
現代の「アスレティックトレーナー」の仕事は、
ベースになっているのが「西洋医学」であり、「欧米式トレーニング」である。
だが、最も普及しているものが必ずしも「最も優れているもの」とも限らず、
「東洋的」な考えに基づいた医学や鍛練方法にも優れている面が多々あるからである。
これは昨今、
「武術的トレーニング」として「ナンバ歩き」や「身体操法」などが注目されたりして、
陸上の末次慎吾選手や野球の桑田真澄投手が
パフォーマンスを向上させた事にも繋がる「事実」であるし、
未だに現場からは、「鍼灸師の方を求む!」という声が多いのも、そういう実態があるからである。
さて、私は自分の事を「究極の雑草型トレーナー」と書いたが、
この「雑草型」と「王道型」の中間的に位置するトレーナーの目指し方もある。
今までにも既に書いている事だが、
次回、それを整理したい。