私が元・格闘技の専門家であったこともあり、
以前から色々な人から
「どの格闘技が一番強い?」という質問を受ける。


正直言って、なかなか難しい質問だ。
ただ言える事は、最後は「個人」の問題になるのであって、
結局は「その時に一番強い人がいる」流派が最も「強い格闘技」と言う事になる。
禅問答のようだが、これが真実だ。


私も色々格闘技を学んだが、
確かにパンチの出し方や捌き方、キックの方法論、構えなど、
流儀によってかなり異なるが、それらは枝葉末節に過ぎない、と考えている。
流派の創始者は「ウチの方が優れている」「いや、ウチのキックの方が効く」
というかも知れない。
だが、誤解を恐れずに言えば、結果としては“大して変わりは無い”。
どんな技でも、強い人は何をやっても強いのだ。
ここで言う「強い人」と言うのは、肉体的・筋力的に「強い」という意味ばかりでなく、
私は主に「理解力」の事を指している。



伝えられた、指導を受けた事柄をどう体現出来るかというのは、
もちろんいわゆる「運動神経」も重要だが、身体運動は「脳」が行うものだ。
と言う事は、その前に伝えられた事が正しく「理解」されないと、
「体現」は出来るはずも無い訳だ。


それは指導を受ける側の理解力・吸収力の問題が重要なのだが、
実は個人の能力に差があったとしても、
情報を「理解」させる術があったとしたら、その流派は非常に「強い」という事が言える。
だから、敢えて「強い格闘技」を挙げろ、と言われたら、
技の教育体系がしっかり確立している流派・団体が最も強いと思う。
言わば、学校教育の「シラバス」であり「カリキュラム」の問題である、と考えられる。



シラバス【syllabus】
特定の科目についての授業内容の概要や計画。

カリキュラム【curriculum】
学校教育で系統的に組織された教育計画。




どのような素晴らしい技の理念があったとしても、
伝説の達人が創始した技だとしても、
それが正しく伝えられる「方法論のしくみ」が無いと、
それは「存在」している事にはならない。
「伝わってナンボ」なのだ。


結局のところ、「強さ」も「論理性」の上に成り立つと言って良い。
だが、それは“技の講釈”の「理屈」ではなく(無論、それも大切だが)
「教育システム」の“中身”の論理性なのだと思う。


これはビジネス(仕事)の世界も、実際の教育現場も同様であろう。
私が携わっている、トレーナーの仕事も同様。
どんな素晴らしいトレーニング法・コンディショニング法があったとしても、
伝わらなければ、まさしく「絵に描いた餅」。
どうしたら最も効果的に「伝わるか」の意識が無ければ、
立派な方法論も存在しないのと同じなのである。



「何度言っても理解出来ない人間」を嘆くと同時に、
「何度言っても伝えきれない自分」も見直す事も同じだけ重要、という解釈だ。



自分で言ってて、自分が一番耳が痛い… イテテッ…。