前回の②では日本におけるスポーツトレーナーの成り立ちについて書いた。
日本でアメリカの「アスレティックトレーナー」に近い形での、
体系だった教育が始まったのは、実はつい最近の事である。
これまた正確に調べていないが、
国際武道大学の「スポーツトレーナー科」が最初であろうと思われる。
それまでは、「体育大学」であっても「トレーナー」の勉強は出来なかったのだ。
と言うか、カリキュラムそのものが無かった。
これは日本の医学部に、「運動療法」を学ぶカリキュラムが無いのと同じ。
だから多くの医師は「運動によって疾病改善」という概念が希薄で、
よほど運動に興味を持っている教授に付いて(研究室で)学ぶしかない。
あるいは運動好きの医師が(医学生が)独学で。
だから医師に「どんな運動したら良いですか?」と尋ねても、
明解に答えられる医師の方が圧倒的に少ない。
私も以前に民間で「運動療法」に携わり、意識を持っていない医師の多さに、
閉口した覚えがある。
おっと、脱線。脱線。すいません…
ここの大学には、山本利春氏という先生がいて、
その方がプライベートを削って「学生トレーナー」という仕組みを作り、
活動をしてきた実績が認められ、ようやく学校として認めた、という経緯がある。
(山本氏とは私も仕事で接点があり、実に“熱い”情熱を持った人物である。)
つまり、あくまでスタートは組織としての意向というより、
個人の“情熱”に支えられて形になり、それに組織が追随した、というのが実態だ。
この辺りのスタートの経緯自体が、
未だ日本でこの分野が成熟して行かない、一つの要因を表していると思う。
この専門課程もまだ出来て数年(2001年に開設)のはずだ。
ここを皮切りに、他の大学にも広がり始めた。
スポーツ系専門学校も、大学より多少早かったようだが、ほぼ同時期。
(だが、実際には学生募集に困った大学が苦肉の策で、
注目を集め始めていた「トレーナー」に目を付けた、という事情もあるようだ。)
信じられないかも知れないが、未だこれが現実。
それ以前までは「(いわゆるアスレティック)トレーナーになりたい」と思ったら、
多くの場合は体育大学(体育学専攻)で勉強して、
(多くの体育学生は“体育教員”を目指していたが)
その中で興味を持ったものが、トレーナーの知識と情熱を持った教授などの先生に相談し、
まずは運動部のトレーナーの助手として、先生の付き人的なことをしながら、
徐々に実績と経験を積み、
その先生の人脈から紹介を受けて、「トレーナー」としての徐々に活動に入っていく、
というスタイルであったようだ。
または大学院に進み(人によっては複数の)、身体に関して自分の興味を持った分野の研究をして、
そこで深い知識を得て、そこからトレーナーへ、というパターン。
当時は(中には)「体育教員」を目指していて挫折し、
そこから新しい夢へ、という事で「トレーナー」へ方針転換したものも多くいたらしい。
その後、かなり年数が経って、
前々回の①で書いたように、アメリカに渡り、大学で勉強してNATAのATCを取得する者が現れ始めた。
日本で最初の取得者は誰だろう、と思って軽く調べてみたが、分からなかった。
(根気よく調べれば分かるでしょう。誰か、お願いします)
私が最初に聞いた名前は、アメリカンフットボールのリクルートシーガルズ
(当時。現オービックシーガルズ)のヘッドトレーナーの吉永孝徳氏だったと思う。
当時は清水の舞台から飛び降りる思いだったと推察するが、
一人そういう人間が現れ始めると、二乗のスピードで目指す者の数も多くなっていった。
今では、石を投げればNATA-ATCに当たるぐらいに人数は増えている。
(その後の現実は厳しい側面もあるようだが…これについては、また。)
野球のメジャーリーグで野茂選手が(正確にはマッシー村上さんだが…)先駆者となり、
今日ではこれだけ多くのメジャーリーガーが誕生している現状とよく似ている。
さて、前述の通り、多くの場合は「体育大学」(体育専攻)の勉強の中で、
その分野に明るかった教授や指導者との出会いで、その道を目指す、
というルートが一つと、
もう一つは、前回で述べたように、
「日本独自規格で勉強と経験を積んでいった」、というルートである。
正確には今で言う「アスレティックトレーナー」とは若干、異なり、
あくまで「日本オリジナル」ではあるが…。
これについては、また。
あの~間違いがあったら指摘して下さいね。本当に。