私は東洋医学をベースに、手技療法を行っている。
平たく言えば、「整体」と言った方が分かりやすいだろう。
正確に言えば「整体」では無いが、まあ患者さんにとってはどうでも良いことで、そこにこだわるつもりも無い。
患者さんが喜んでくれさえすれば、それで良いと考えている。


日々、患者さんの施術を行っている中で、色々患者さんに説くことがある。
それは、「健康って何なの?」という点だ。
話し出せば多岐に渡るので、今日は「要は身体はどうなっていれば良いのか?」という点で話をしたい。


これは車に例えると分かりやすい。
私は基本的に中古車マニアであるが
(と言えば聞こえは良いが、要するに中古車しか買えない)
今まで2度、車を廃車にしたことがある。
どちらもエンジンが再生不可能になったのだが、
一度は冷却水が循環していなかった。
一度はオイルが循環していなかった。
どちらも循環すべきパイプに不具合があったためだ。
つまり、水は十分に有っても、オイルが十分入っていても、それが「循環」していなければ、他の機関に問題は無くとも、いとも簡単に車は壊れてしまうのだ。
つまり人間も「循環」(主に血液という事になる)が守られていなければ、至極簡単に身体は定常状態を保てなくなるのだ。
東洋医学であると、ここにまた「気」という概念が加わる。
(「気」については、また機会があれば述べる)
これもまた「気」が「巡って」いなければならない、という考えだ。
要は「循環」。


人間の場合、さらにやっかいな事に「配分」という問題がある。
自動車ならば、「水」が必要な所は決まっており、
「オイル」は用途別に「エンジンオイル」「ブレーキオイル」「パワステオイル」などと蓄えている場所も異なるし、行き先も固定されている。
しかし人間は、「血液」を必要に応じて、必要な箇所に分配する機構が備わっている。
ましてや血液量は絶対量が決まっている。(輸血でもしない限り)
つまり、逆に言うとあっちでもこっちでも血液を要求されても困るのだ。


例えば、暴飲暴食を繰り返していれば、どうしても消化器に血液がいつも多く必要になる。
飲酒が多く、ストレスが多ければ肝臓が血液を要求する。
頭脳労働が主の人は、どうしても脳に血液が多く欲しい。
しかし他の臓器も、様々な仕事をしているわけで、やはり血液は必要だ。
それにエネルギー源を身体の隅々まで行き渡らせるため、末端組織まで循環していなければならない。
どこかで「血液」が足らなくなるのは当然だ。


最後は「質」の問題だ。
自動車で言えば、オイルがどろどろで粘性が高ければ、やはり循環させにくい。
人間で言えば当然、ポンプである心臓にも負担が大きい。
その為には食事や水分の摂取と共に、水分量調節を司る「腎臓」への負担を考慮しなければならない。
東洋医学的に言えば、腎臓が最も疲れるのは、「暴飲暴食・睡眠の不足・性行為過多」である。


つまりは、人間の健康維持のベースは、
「循環」「配分」「質」の確保なのだ。(血液だけでは無いが)
それを守るための方法論として、様々な療法が世の中に存在するわけだ。
(各療法の施術者がそれを認識しているかどうかは別)
このように、人体は大局的に診ていかなければ改善は見込めない。「どこを揉む」「どこが硬い」という事ももちろん大切だが、本質的にはそういう問題ではないのである。
それさえ押さえておけば、方法論はどうでも良いとも言える。(極論だが)