昨日は心肺蘇生法の講習会を担当して来た。


本職の休日を利用してだが、
これも大事な仕事。




現役の理学療法師の方々を対象に。
写真は場所をお借りしただけだが、
埼玉の川越にある、病院に併設されている理学療法師の学校である。
まだ新しい学校で、最新設備を誇る。


ちなみに、今日は上級クラスの「アドバンスコース」と呼ばれるもので、
基本の心肺蘇生法は一人で行うものだが、
このコースでは、

・二人で行う心肺蘇生法。
・途中から二人になった場合の蘇生法。
・喉に詰まった異物を除去する。
・口から人工呼吸出来ない場合。
・子どもの心肺蘇生法。
・赤ちゃんの心肺蘇生法。


などの習得を目的とする。


講習を終えたあと、皆さんと少し話をした。


「先生(わたし)、“リハビリテーション”と聞いて何を連想しますか?」


…???


どうも、日々の仕事の中で、
一般の方々からは「リハビリ=マッサージ」と思われている事が多いらしく、
訪問リハビリに行っても、「マッサージの人、来たわよ~」と呼ばれる事がほとんどで、
その事が少し心に引っ掛かっているようなのだ。


なるほど。


私は似たような仕事の端くれだから、
そのような誤った認識は無いが、
やはり若い人からすると、
夢を持って、沢山のお金と時間を使って勉強して資格をとり、
期待に胸を膨らませて仕事に就いた訳だから、
何とは無しに寂しさを感じる気持ちは、分かる気がするなぁ。


でも、手段や捉らえられ方は何だろうが、要は患者さんが「良くなって」、患者さんに「喜んで」いただければ良いわけで。


私も未だに「マッサージ」や「指圧」とも言われる事も多く、
若い時はこちらの理学療法師の方のような感情もあったが、
今では全くと言って良いほど無くなった。
と言うより、そういう事は大した問題では無いと思えるようになった。
その「プライド」は、自分の仕事内容の完成度や、その成果に対して抱くようにするようになった。
“互いが納得出来れば、それで良し”
といったところか。



だが、若いうちはそれでも良いのかも知れない。
様々な経験を積むうちに、「プライド」に対する感覚も変わって行くだろう。


名前ももちろん大切。
しかしもっと大事なのは、「何が出来たか」「何が与えられたか」。


それを積み上げる事でしか、「プロ」は「プロ」になれないし、
自分を認識してもらう事は出来ないのである。


月並ですが、頑張って下さいまし。

“巨匠”と呼ばれる、その日まで。