yahooスポーツニュース・宮里聖志ツアー初V より。


【アジア・ジャパン沖縄オープン最終日(19日、沖縄・那覇GC、6789ヤード、パー71)】お兄ちゃんが勝った! 首位と8打差の18位から出た宮里3兄妹の長兄、宮里聖志=きよし=(27)が8バーディー、1ボギーの7アンダー64と猛チャージ。通算14アンダーの大逆転でツアー初優勝を果たした。ここ2年間、シード落ちしていた長兄の優勝に、妹・藍(19)ら宮里一家は会場でそろってうれし泣き。3月の女子開幕戦で藍が勝って幕を開けた今年の日本プロゴルフツアーは、聖志の歓喜の初Vで終幕。まさに“宮里イヤー”となった。

 涙を流して次々に胸に飛び込んでくる家族を、両手で受け止めた。父、母、弟、そして妹の藍。「おめでとう!」。宮里家の長兄、聖志のツアー初優勝に、沖縄名物の指笛が鳴り響いた。

 「信じられない。実感がわかないです」

 首位と8打差の18位で迎えた最終日。テレビ中継のリポーター役で来場した藍に、「適当にがんばって」と明るく送り出された。気楽さに、地元・沖縄の声援が加わり、聖志はハイペースでスコアを伸ばした。

 8番から4連続など14番までに7バーディー。17番では10メートルのバーディーパットをねじ込む。通算14アンダーでホールアウトした時点で首位に立った。後続が停滞。最終日に8打差をひっくり返したツアー史上2番目の大逆転優勝だ。

 爆発の予感はあった。この朝の練習場。「テークバックで早めに右ひじをたたみ、コンパクトなトップに」というコーチの父・優さんのアドバイスが的中した。この日パーオンを外したのは、わずか2ホールだけ。前日よりショットが見違えるようにさえ渡った。

 いつも家族が支えてくれた…。初の優勝スピーチ。「父と母に…感謝しています」。涙に言葉が詰まった。弟、妹はアマ日本一に輝いた。対照的に元来、楽天家の聖志は近大時代、クラブを週に2度しか握らないほどの練習嫌いで低迷。プロ転向もあきらめかけた。

 そんな大学4年時、父に沖縄へ強制的に連れ戻された。「ここで2年練習してプロを目指せ!」。ひっぱたかれた。目が覚めた。自然と練習場へ足が向かっていた。

 04年シーズンは賞金ランク75位で2年連続シード落ち。再び落ち込んだ聖志には、大ブレークした藍の活躍が励みになった。「優作と藍がいたことが大きい」。はい上がり、05年“開幕戦”で優勝。07年シーズンまで3年分のシード権を獲得した。沖縄・東村の実家には、優作、藍が獲得したトロフィーが並ぶ棚がある。“無冠”だった聖志の場所に、ようやく待望の栄冠が飾られる。

 「宮里家の最大の悩みのタネはボク。みんなが幸せになるために、がんばりたかった」

 3月、女子開幕戦「ダイキンオーキッド」で藍が優勝して始まった04年は12月、聖志の初優勝で締めくくられた。会場はいずれも地元・沖縄。まさに“宮里イヤー”だ。涙は笑みに変わる。沖縄民謡が奏でられるコースに、宮里一家の笑い声がこだました。




私は、特に宮里聖志選手のファンという訳では無いが、
以前から注目していた。
早くから結果を出し、注目されている「妹」と学生時代から注目されていた弟。そして未だ未勝利の「兄」。
そのプレッシャーたるや、言葉に出さずともそれが大きい事は想像に難くない。
その中で、どのように自分の道を切り開いていくか?に興味があったからである。


それと、理由がもう一つ。
決して順風満帆では無かった、という点だ。
記事にもあるように、かなり誘惑に負け、煩悩に翻弄され、
自分を見失っている時期もあった。
傍から見ていると、
「好きなゴルフやらせてもらえるんだから、しっかりやれよ!」という事になるのだろうが、
当事者からすると、常に自分を律し、己の道を突き進む、
なんていうのは誰でもできる事ではない。
むしろ、聖志選手のような人の方が多いのだ。


ただ、それが全員脱落するかと言うとそうでもなくて、
這い上がってくる人は、少なからず存在する。
私は、個人的にはそのようなタイプの選手の方が好きだ。


だってあんた、皆が聖人君子のように立派に生きられる訳ないじゃないですか。
煩悩があって当たり前。
誘惑に負ける時期もあるのも、また人間。
要は、「その後」の行動、でしょう。


それにしても、少しはこれで存在感は示せた。
この試合の賞金は、2005年の成績に加算されるらしいので、
優勝賞金2000万円。
2年連続して落としたシード権も、これで復活は確定だ。
妹の藍選手のように「1億円」とまでは行かなくても、もっともっと稼いで欲しい。


これであとは、未完の大器。
弟の優作選手がどのような結果を出すかが注目だ。