マグロの代用魚としてアカマンボウが用いられているらしい。
安い回転寿司などで「マグロ」として売られている。
もしそれがマグロではないと気づかないとき、消費者にも責任の一端があるのだろうか。
仮に区別しなくても、場合によってはアカマンボウのほうが美味しいという人さえいるだろう。
※少なくとも私はニセモノのエンガワのほうが美味しいと思うだろう。
だとしたら偽装してもよいのだろうか。
少し観点を変えてみよう。
なぜアカマンボウを堂々とアカマンボウとして売らないのだろうか。
理由は簡単である。
アカマンボウだと売れない又は安いからである。
マグロとアカマンボウでは価値が違うのだ。
ここで大切なのは価値が相対的なものであるということ。
マグロとアカマンボウの区別がつくとかどちらが美味しいとかは関係ない。
区別がつかないのに価値が違うのはナンセンスだ、と思うかもしれないが、そういうものなのだから仕方ない。
消費者が賢くなれというほうがむしろナンセンスなのだ。
物事に絶対的な価値があるとするのはイデアのようなものではないか。
追い求めてもいいが、ひどく哲学的で、現実社会では使えないものだ。
僕達はあるものの絶対的な価値を考えているようで、
その実相対的な価値しか測れないことに注意すべきだ。
行動経済の実験などからも直前のインプットがアウトプットに影響することは確かめられている。(直前に聞いた金額が、次に答える金額に影響するという実験。)
ただし市場は賢いから、もしマグロとアカマンボウが等しいのであれば、
正しい情報があればいずれアカマンボウの価値はあがっていく。(もしくはマグロの価値が下がっていく)
マグロだってそうやって高級魚になっていったではないか。
安い回転寿司などで「マグロ」として売られている。
もしそれがマグロではないと気づかないとき、消費者にも責任の一端があるのだろうか。
仮に区別しなくても、場合によってはアカマンボウのほうが美味しいという人さえいるだろう。
※少なくとも私はニセモノのエンガワのほうが美味しいと思うだろう。
だとしたら偽装してもよいのだろうか。
少し観点を変えてみよう。
なぜアカマンボウを堂々とアカマンボウとして売らないのだろうか。
理由は簡単である。
アカマンボウだと売れない又は安いからである。
マグロとアカマンボウでは価値が違うのだ。
ここで大切なのは価値が相対的なものであるということ。
マグロとアカマンボウの区別がつくとかどちらが美味しいとかは関係ない。
区別がつかないのに価値が違うのはナンセンスだ、と思うかもしれないが、そういうものなのだから仕方ない。
消費者が賢くなれというほうがむしろナンセンスなのだ。
物事に絶対的な価値があるとするのはイデアのようなものではないか。
追い求めてもいいが、ひどく哲学的で、現実社会では使えないものだ。
僕達はあるものの絶対的な価値を考えているようで、
その実相対的な価値しか測れないことに注意すべきだ。
行動経済の実験などからも直前のインプットがアウトプットに影響することは確かめられている。(直前に聞いた金額が、次に答える金額に影響するという実験。)
ただし市場は賢いから、もしマグロとアカマンボウが等しいのであれば、
正しい情報があればいずれアカマンボウの価値はあがっていく。(もしくはマグロの価値が下がっていく)
マグロだってそうやって高級魚になっていったではないか。