情報セキュリティにおいてリスクは下記で表される。
「リスク = 情報資産 x 脅威 x 脆弱性」
この式は情報セキュリティに限らず適用可能であると考える。
ここでは放射線のリスクについて適用し考察し
リスク評価を試みることにしよう。
まず「脅威」は放射線そのもの。強さに比例して値が大きくなる。
それから「脆弱性」は人への影響度と見なすことができる。
例えば放射線がいくら強くても影響がなければリスクは0だ。
現実にはなんらかの影響が考えられるので「脆弱性」を0とは見なせない。
少々厄介なのは「脅威」と「脆弱性」が独立なのかが、
今回のケースでははっきりしながいそこは置いておくことにする。
最後に「資産価値」について考える。
ここで資産は人そのものであり人の命や健康である。
この価値を測る=数値化することは可能であろうか?
結論としてはできない。
多くの人々は「命は代えがたい」と主張している。
特に子どもへの影響などは声高に叫ばれている。
それはそれで正しい。
しかしリスク評価の観点で言えば、
数値化できない=価値が無限だと見なせるので、
結果としてリスクは無限大になる。
したがって「リスク評価を行うことはできない」という結論に達する。
さらに言うと、リスク評価が行えない以上、
「放射線の影響云々についてその議論に意味は無い」
という結論が導かれる。
なぜならば、そもそも資産価値が無限大である(と見なしている)以上、
脅威や脆弱性が0にならない限りリスクは無限大である(と見なされた)ままだから。
もはや「○○Sv以内なら」とか「○○ベクレル以内なら」とか、そんなやり取りに意味はない。
究極的には「原発を廃止し脅威を0にする」以外に納得にいく結論は得られない。
ではこの結論を回避する方法はあるのだろうか?
少なくとも一つ方法がある。
「そもそもリスク評価を行わない」という方法だ。
すなわち安全神話と言い換えてもよい。
前述のとおりリスク評価を行うと落ち着く先は一つしかない。
ならばリスク評価を行わないという逆転の発想により、
原発廃止という結論に導かれることを防ぐことが可能だ。
今までの日本政府の対応と言い換えてもよいかもしれない。
この方法以外に原発廃止の結論を免れる術がないとすれば、
日本政府がこの戦略を採用していたことは極めて妥当であると結論付けられよう。
※原発採用が妥当なのではなく、原発採用という結論が日本政府内にまず先にあって、そこに向けてどのような戦略を採用するかという意味での妥当性。
タバコや大気汚染、自動車事故や飛行機事故など、
他のリスクとの比較による原発リスクの評価を試みて、
反原発の非論理性を明らかにしようとする人達もいるが、
それもやはり無意味なのだ。
他の何と比較しようが、一度原発のリスク評価を始めてしまったら、
人の命に値段をつけない限り、結論は原発廃止以外にはありえない。
一度動き出してしまった歯車は簡単には止まらない。
いっそ脱原発に向けて加速させてしまうか、
自然に止まるまで黙って放っておく以外に方法は無いのである。
※すなわち原発廃止論者が飽きるまで放置するという方法だ。今大きなうねりと化している反原発も、しばらくするとごく一部の人達を除き大半の人達の関心事は別の何かに向いてしまうだろう。
「リスク = 情報資産 x 脅威 x 脆弱性」
この式は情報セキュリティに限らず適用可能であると考える。
ここでは放射線のリスクについて適用し考察し
リスク評価を試みることにしよう。
まず「脅威」は放射線そのもの。強さに比例して値が大きくなる。
それから「脆弱性」は人への影響度と見なすことができる。
例えば放射線がいくら強くても影響がなければリスクは0だ。
現実にはなんらかの影響が考えられるので「脆弱性」を0とは見なせない。
少々厄介なのは「脅威」と「脆弱性」が独立なのかが、
今回のケースでははっきりしながいそこは置いておくことにする。
最後に「資産価値」について考える。
ここで資産は人そのものであり人の命や健康である。
この価値を測る=数値化することは可能であろうか?
結論としてはできない。
多くの人々は「命は代えがたい」と主張している。
特に子どもへの影響などは声高に叫ばれている。
それはそれで正しい。
しかしリスク評価の観点で言えば、
数値化できない=価値が無限だと見なせるので、
結果としてリスクは無限大になる。
したがって「リスク評価を行うことはできない」という結論に達する。
さらに言うと、リスク評価が行えない以上、
「放射線の影響云々についてその議論に意味は無い」
という結論が導かれる。
なぜならば、そもそも資産価値が無限大である(と見なしている)以上、
脅威や脆弱性が0にならない限りリスクは無限大である(と見なされた)ままだから。
もはや「○○Sv以内なら」とか「○○ベクレル以内なら」とか、そんなやり取りに意味はない。
究極的には「原発を廃止し脅威を0にする」以外に納得にいく結論は得られない。
ではこの結論を回避する方法はあるのだろうか?
少なくとも一つ方法がある。
「そもそもリスク評価を行わない」という方法だ。
すなわち安全神話と言い換えてもよい。
前述のとおりリスク評価を行うと落ち着く先は一つしかない。
ならばリスク評価を行わないという逆転の発想により、
原発廃止という結論に導かれることを防ぐことが可能だ。
今までの日本政府の対応と言い換えてもよいかもしれない。
この方法以外に原発廃止の結論を免れる術がないとすれば、
日本政府がこの戦略を採用していたことは極めて妥当であると結論付けられよう。
※原発採用が妥当なのではなく、原発採用という結論が日本政府内にまず先にあって、そこに向けてどのような戦略を採用するかという意味での妥当性。
タバコや大気汚染、自動車事故や飛行機事故など、
他のリスクとの比較による原発リスクの評価を試みて、
反原発の非論理性を明らかにしようとする人達もいるが、
それもやはり無意味なのだ。
他の何と比較しようが、一度原発のリスク評価を始めてしまったら、
人の命に値段をつけない限り、結論は原発廃止以外にはありえない。
一度動き出してしまった歯車は簡単には止まらない。
いっそ脱原発に向けて加速させてしまうか、
自然に止まるまで黙って放っておく以外に方法は無いのである。
※すなわち原発廃止論者が飽きるまで放置するという方法だ。今大きなうねりと化している反原発も、しばらくするとごく一部の人達を除き大半の人達の関心事は別の何かに向いてしまうだろう。