インターネットの中の世界は、
まだまだ多くの人にとって異世界であり、
現実ではなく仮想現実であり、
中のルールや常識は、外のそれと必ずしも一致しない。

岡崎図書館の事件はそんな中で、
起きてしまった悲劇であるわけなのだが、
あらためて、未だにインターネットの中を
まるで別世界の住人として扱う
ある種の差別とでも言えばよいのだろうか、
そのような認識が根強いことを感じる。

「ネットの常識は、外では非常識なんだ」
このような主張を本件においてなんど見たことだろう。

インターネットというものが、
これから先もある種のマニアのものであれ、
世界の片隅にひっそりと存在するものならば、
この主張を受け入れる余地はあるかもしれない。

しかし、残念ながらそれはありえない。
一度起きたイノベーション、レボリューションは、
ひたすら前へと針を進めていく。
それは決して戻ることはない。

2000年以上も昔、ソクラテスは「無知の知」に気づく。
しかし多くの現代人は、その偉大な足跡を踏みしめることなく、
無知を振りかざし続けている。

自分が知らないことを恥じることなく、
知っている人を攻撃することを厭わない社会は、
2000年前とどう違うというのだろうか。

根本的な部分において人類は進化していない。
ごく限られた人が進めた針の恩恵に預かり、
外面的、表面的な進化、進歩を享受しているだけなのだ。