4歳のころ、中耳炎になったのですが、病院に連れて行かれてもなかなかよくなりませんでした。
中耳炎の治療は当時、何かをきっかけに何かを大きな声で発声している間に耳に空気が何かを吹き付けるような、あくまで記憶の残滓ですが、そんな治療でした。

ただ、ぼくが人前で突然大声を出すのが恥ずかしくて、なかなか声を出せませんでした。そのためか、治療がなかなか進まず、病院からほかの病院に通ってくださいと、診察を断れたことが何度もあったそうです。

母はそのたびに病院を探して新しい病院に通いました。しかし一向によくなりませんでした。

転機になったのは、熊本に引っ越したときに通った新しい病院でした。確か熊本大学病院だかのすぐ近くに、そこを独立したばかりの医者が開業していたところでした。

この子は中耳炎ではなく、扁桃腺とアデノイドが原因で聴こえにくくなってますと、いくつかの検査をした結果を母に医者(院長)が説明したそうです。

そして手術することになり、初めての記憶があるようになってからの入院となりました。手術は無事終了しました。

そこまでにもいくつかドラマがありましたが、無事退院しました。そして退院してから1週間ほどしたときでしょうか。夜中に突然洗面器いっぱいに吐いてしまいました。朝になって母が確認するとそれは血でした。

ぼくはもう立ち上がれません。血が欠乏して立てなくなっていたのです。

救急車を呼べばよかったのでしょうが、慌て者の母がしたのはタクシーを呼んで手術したのは病院にぼくを連れて行くことでした。

そして院長さんの診察で、縫った傷口から少しずつ血が出ていて、最終的に吐いてしまったようだとのことでした。

とはいっても、輸血はしませんでした。増血剤か造血ざいかを飲ませれて何時間か寝かせられてから、タクシーで帰りました。絶対安静で。

それが扁桃腺、いまは扁桃の手術後の吐血記録更新でした。絶対安静の1週間、布団で横になるだけの日々でした。そしてそのとき、ぼくは大人になることなく死ぬだろうと意識したきっかけとなりました。

いまも生きてるわけですが。