消滅に向かってまっしぐらの地方を再生させようという機運はとても高くなっていると思います。しかし、いずれもイマイチであり、地方を再生させる力とはならないでしょう。

 

 そもそも、何故、地方が衰退したかをキチンと理解していない人が多いのが問題なのです。その理由が分からなければ、改善できないのは当たり前のことなのです。

 

 そこで、今回は、本気で地方再生を考えている首長さんが一人くらいは居るかもしれないという事で、メッセージを送りたいと思います。

 

 先ずは、何故、地方が衰退したのか?という問いの答えから書いていきましょう。こういうことを言うのは日本では多分私一人かもしれませんね。

 

 このブログを長年呼んでいる人であれば、その答えはご理解いただけると思います。

 

 それは、学校教育なのです。

 

 日本全国津々浦々にある学校こそが、日本の地方を衰退させた諸悪の根源という事です。文科省の作ったカリキュラムを日本全国で学ばせ、日本人を洗脳したことで地方は衰退していったのです。

 

 学校で一生懸命勉強した先に目指すモノは何?

 

 それは豊かな暮らしではないかと思います。それは一体どこにあるのか?それは地方にはないという事は明らかでしょう。そうなれば、一生懸命勉強した人たちは都会へと出ていく。

 

 結局、地方自治体が教育に力を入れれば入れるほど地方は寂れていくという事なのです。ここまで来てそれに気づかないのは何も考えていない証拠という事です。

 

 そういう首長たちも、学校教育を受けて育っており、学校教育に依る洗脳を受けているから、何も考えられないのです。

 

 学校が子どもたちに要求するのは学びです。それは過去を知ること。過去の知識や情報を必死になって覚えさせることを幼い頃からやらせているのです。

 

 それは私たちから何を奪うかと言えば、自分で考えて行動するという人間本来の力を奪うのです。だから、問題の原因を考えることが出来ない。結果、問題解決が出来ないという事になるのです。

 

 そして、何処かの地方が地方再生で少し成果を上げれば、多くの地方は右へ倣いで真似て来る。学という行為が真似る行為だから、現代人は他人を真似ることしか出来ないのです。

 

 それはつまり、依存体質を作っているということ。

 

 その最大の依存は何かと言えばお金です。現代人はお金がなければ何も出来ない。考えることの出来ない人間はお金に頼るしか生きていけないという事です。

 

 それは地方も中央も同じこと。今や全ての日本人がお金に縋ってい生きているのです。そのお金がある中央に人が集まるのは当然のことになるでしょう。

 

 東京は、日本で一番少子化しており、出生率は1.0を切りました。しかし、お金持ちが多い東京はお金があるので、地方が羨む子育て支援が沢山出来るのです。

 

 そういう東京の動きに埼玉、神奈川、千葉などの近隣首長が不満を漏らしているのです。これによって、東京に更に人が集まる可能性もある。

 

 お金があれば何でも出来るという、この資本主義の格差を自治体に於いても垣間見れる時代となって来ました。それだけ、自治体も追い込まれ始めたという事でしょう。

 

 首都東京が本気を出せば、地方はひとたまりもないと思います。これから、地方の衰退は更に加速することでしょう。

 

 それでも学校教育は大事だと信じて疑わないのです。

 

 学校教育を続ける限り、文科省が作るカリキュラムを学ぶ限り、お金の為に働く人間しか育たないのです。それでは、地方はドンドン消えていくしかないと思います。

 

 従って、先ずはそうならないために、元を絶つことです。学校教育を止めることです。そうすれば東京志向は消せると思います。

 

 これから、地方が生き残るためには国家からの独立が必要になります。政府におんぶにだっこで縋っているようでは、地方は中央の餌食になって滅びてしまいます。

 

 国家にとって地方とは国家を支える土台に過ぎないのです。骨の髄まで吸い取られ滅んでいくのが地方の末路という事です。

 

 そろそろ、その自覚を持たなければいけない。地方が政府を頼ることなく生きていくことを目指さないと、この状況を変えることは出来ないのです。

 

 私たち人間は今はない明日という未来に向かって進むことを生きると呼んでいます。そして、今はない明日という未来にあるのは自由と無限の世界なのです。

 

 その世界に過去は意味を持たない。過去の知識や情報は無価値なのです。だから、それを学んでも意味はない。むしろ、それを学ぶことで過去に縛られ未来を失い滅びることになるのです。

 

 今ないモノが生まれるのが未来であり、今あるモノが消えるのも未来なのです。その未来に恐らく国家という組織はないと思います。

 

 何事も必要に応じて得ることが出来ますが、不要になると消えていくのです。それはモノの大小は関係ありません。国家というとてつもない大きな組織だって同じなのです。

 

 地方自治体が崩壊するという現実の先にあるのは、それを束ねる国家も崩壊するという未来なのです。

 

 日本に国家が誕生して僅か150年足らずであり、人間にとって国家の必要性は大きくないのです。国家というのは個人の多様性を殺すことで成り立つものです。

 

 今や多能性が叫ばれる時代にあっては、もはやオワコンだという事になります。これからは多様性を生かすために、小さなコミュニティが乱立する自由な世界となっていくことでしょう。

 

 私たちが生きる未来にある自由と無限の世界を手にすることでもあるのです。この不自由で抑圧された世界から抜け出す時が近づいているという事でもあります。

 

 人は何のために生きるのか?

 

 一人一人がこの問いにキチンと向き合い、その答えを自分で出して行くことで自由で無限な未来に出会えるのです。これは人間だけが出来ることであり、人間にだけ与えられた特典と言えるでしょう。

 

 全ての人がこの世界に生まれてきた良かったと思える世界を作れれるのが人間の凄さではないかと思います。それを手にする未来に、これまでの知識は不要だし、邪魔になるのです。

 

 それを払拭するために、先ずは政府主導の学校教育を排除しましょう。そして、人間の尊厳である、誰もが自分で考えて行動出来るという自由を取り戻すべきだと思います。

 

 人間社会を作るのは人間です。でも、今の人間は、人間とはどういう生き物なのかを知らない。そういう大事なことは学校では絶対に教えないから。

 

 そして、偽物の人間像を吹き込み洗脳し人間をお金という紙切れで働く奴隷として国家を支えさせるのです。そういう体制に未来はありません。

 

 このまま行けば、日本人は後100年も持たないと思います。地方の危機とは日本人の危機であり、日本人の絶滅を意味するのです。先ずは、そういうことを知ることから始めてください。

 

 日本人はとてもヤバいのです。全ては学校教育のせいなのです。