日本の歴史を振り返ると、明治維新後の150年はまさに大転換の連続でした。こんなにも大きく変わったのは日本だけではないでしょうか。

 

 そして、明治維新の将軍家から天皇は容易ですが、終戦の天皇から国民は大きなリスクを伴うので。如何にして国民を騙すかが国家が主権を維持できるかどうかを決めるからです。

 

 国民主権というモノを有名無実にしなければ、国家というモノは維持できない。実は国民が主権を持った時、国家は存在する意味と価値を失うのです。

 

 主権なき国家のいう事は誰も聞かなくなるからです。では、主権とは何かと言えば、資本主義に於いては「お金」となります。

 

 従って、国民主権というのは日銀を政府が所有するのではなく国民が所有するみたいな感じです。全ての国民に日銀がついている。

 

 簡単に言えば、全ての国民が自由にお金を引き出せるというのが資本主義下における国民主権となります。投票権はそれを誤魔化す方便なのです。

 

 そんなことしたら経済はどうなるんだ?とお叱りを受けるでしょうが、飽くまでも理論上の国民主権を表現したまでです。

 

 だから、どんなに投票しても我が暮らし楽にならずなのです。そろそろ戦後80年にもなるので気づいて欲しいと思います。

 

 ぜひ、主権という事の意味を一度考えましょう。そうすれば、国民が国家に騙されていることに気づくかもしれません。

 

 何時も書いているように、国家の最大の敵は他国ではなく自国民であることを忘れてはいけません。外国が自国を滅ぼすのは容易ではありませんが、自国民が自国を滅ぼすのは簡単なのですから・・・

 

 みんなが国のいう事を聞か無くなれば国は終わりです。

 

 つまり、人間の自立が国を亡ぼすという事です。だから、国は人間から自立を奪う事ばかりしてくるのです。

 

 自立するために欠かせないのが「自分で考えて行動する」という人間本来の生き方です。これさえ阻害すれば、人間は依存症になる。

 

 基本的には学びを強要することで起こる知識と情報への依存症です。まあ、資本主義に於いてはそれが生命線となるわけで、それに縋るのは神に縋るのと同じだと思います。

 

 その依存相手の元締めが国家となっているわけです。人間は依存する限り自由も幸せも手に入りません。その結果、いずれ人間は滅亡することになります。

 

 だって、自立してない人間は人間とは言えないから。これこそが人間の本質であり、人間を地球に留める力なのです。だから、それを失うと地球から弾かれ滅亡する。

 

 人間は人間のことを考えなければいけないのです。それだけで人間世界は上手く行くようになっている。ただ、それだけのことなのです。