Quouraでの回答を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

 

 願いが叶うと信じることとダメ元でやってみること(諦める、仏教的境地)、どちらが正しいかはどちらの道具の方が自分、その時々の状況で上手く合致するかどうかなんでしょうか?

 

 願いは間違いなくかないます。願いが叶わないと嘆く人が多いのは、その願いが自分にとって本当の願いではないからなのです。その事気づけば良いのですが・・・・

 

 どうしてそうなるかと言えば、現代人は学校で学びを強要されます。学びとは過去の人間の考えを真似ることです。それを続けていると、いつの間にか本当の自分が消され他人の考えが自分を支配するようになるのです。

 

 これを一般に洗脳と呼んでいますが・・・・そして、本当の自分が消えるので本当の願いも消え、誰か知らない人の願いを自分の願いだと思い込むのです。そして、人生を棒に振ることになるのです。

 

 自分の本当の願いかどうかを知る方法はとても簡単です。その願いは何のためにあるのかと言えば、幸せになるためにあるのです。幸せが目的であり願いは手段という事になります。

 

 しかし、大抵の人間は、その願いを目的に変えてしまうのです。そして、その願いに振り回され本当の目的を忘れてしまいます。その結果、とても辛く苦しい人生となります。つまり、生きることが辛く苦しいのであれば、その願いは偽物だという事です。

 

 だから、叶わないのです。そして、万が一かなったとしても当然偽物ですから幸せになることはありません。こういう大事なことを現代人は知らないのです。そして、騙されて誰かの願いをかなえるために人生を棒に振るわけです。

 

 本当の願いという手段は自分を幸せにするモノです。つまり、人生を楽しくするモノなのです。その願いを持つことでワクワク楽しく生きれるのが本当の願いという事になります。それは自分で分かりますので悩むこともないのです。

 

 人間は本来誰でもそういう願いを持ち人生を楽しめるのです。それを根底から壊しているのが学校教育に依る洗脳という事になります。そして、本当の自分を失い他人に利用され辛く苦しい人生を送らされ病に倒れるのです。

 

 生きることはある意味とても簡単でありとても楽しいのです。それは人間だからそうなのです。猫や犬ではこうはいきません。是非、人間という生き物の凄さを知ってください。全てはそこからです。