これもQouraでの投稿になります。学びの危険性をさらに明確に示したものです。こういう話が多くの人に理解される日を夢見て書いています。

 

 テレビは、情弱製造装置になりえますか?

 

 テレビが作るのは情報弱者ではなく情報中毒者です。全てを情報に依存しようとする人たち。要は自分で考えて行動しようとしない人たちという事です。

 

 人を情報依存をさせることで操ることが出来るのです。それを幼いころからやっているのが学校教育という情報刷り込み機関になります。

 

 そこで、情報収集ノウハウを徹底的に仕込まれる。この世は情報社会だからあらゆる情報を得ないと損をするってね。

 

 その習慣さえ植え付ければ、後は情報で支配することは赤子の手をひねるようなものになります。

 

 人間にとって大事なことは何度も書いているように「自分で考え行動する」という事です。他人の操る情報ではなく、自分の意志で生きることです。

 

 しかし、それをやろうとすると人は孤独になる。何故なら、人は皆違うから当然なのです。でも、孤独は悪だみたいなプロパガンダによって、それを恐れさせられるからダメなのです。

 

 みんな一緒じゃないのです。だから、自分対その他大勢という構図はない。人は皆違うから常に人は一対一の関係にあり、それぞれが孤独な人間なのです。

 

 だから、孤独を恐れることはないし、孤独は悪くないのです。自分という唯一無二な存在が認識出来れば、当然ながら、他人もそうなることが分かるでしょう。

 

 そうなれば、お互い様という相手を思いやる心が生まれるのです。

 

 後、人間は横から見たら孤独ですが、上から見ると孤独ではないことが分かるのではないかと思います。それは全ての人には親がいるという現実です。

 

 要は血の繋がりです。昔の人間はこれをとても大事にしていました。要は血の繋がりのある家族は裏切らないからという理由だと思います。

 

 これが強い内は社会は出来ないし、ましてや国家や企業なんかは論外となります。逆に言えば、これを壊すことで今の人間社会は出来ているという事です。

 

 そして、この血の繋がりを消された人間は、横の繋がりしか見えないので孤独を感じ怖がるのです。

 

 人間という生き物は、いや生きとし生ける物に孤独という概念は本来はないのです。だって、最も強い絆である血があるのですから。

 

 そして、今や科学が進み遺伝が解明されてきました。血の繋がりだけではなく能力の繋がりもあることが分かって来たのです。

 

 過去を辿れば誰でも分かると思いますが、自分という人間をこの世に出すのに何人の親が居たのかという事です。それは現在の地球人口では到底足りない人数となります。

 

 それが何を意味するのかと言えば、自分には全人類の英知があるという事です。一人一人が全人類の希望であり未来となっているという事です。

 

 だとすれば、今を生きる人間は、その全人類の英知の結集として、自分の中に隠れる力を引き出す責任を追っているという事になるのではないかと思います。

 

 こんなくだらない世界を作るためにしか使えなかった先人たちの知恵を学ぶ意味など全くないのです。多くの人が苦しむ世界しか作れなかったという失敗を受け継いではいけない。

 

 もし、これが本当の人類の英知ならば、もちろん、人類はここまでという事にはなりますが・・・

 

 個人的にはそんなレベルではないと思えるわけです。それは先人たちが我々より劣っていたから気づかなかっただけのこと。

 

 そんなもので作られた知識や情報は毒でしかないのです。それは、今我々が目にしている社会が示しているのではないでしょうか?

 

 人間はここまでと思うなら真似べば良いし、そう思わないのなら絶対に学んではいけないのです。学びとはそれが正解を意味するので、そこで終わります。

 

 それ以上先はないし、当然、未来を在りません。しかし、学ばなければ、その先は自由に無限にあるのです。それを人は未来と呼んでいると思います。

 

 今はない未来は自由であり無限なのです。それは過去にはない世界なので過去を知っても何の意味もない。この理屈をご理解いただければ思います。