今日から、新しいカテゴリを作り新しい発言をしていこうと思います。というか、今までだってそうだったんで今更ですが^^;

 

 第一弾として「人は学ぶから後悔する」という新説というより逆説がピッタリのないようですね。既に本にしているようにこの世界は「アベコベ社会」なので、大抵の人が信じて疑わないことは大抵は間違いなのです・・・・と断言しておきましょう。

 

 人間の嫌いなことの一つに後悔というものがあります。後悔のない人生に憧れる人も多いのではないかと思います。で、後悔しないためにはと考えて思いつくのは学ぶことなのです。

 

 それは、幼い頃から学校で培っている習慣ですから、いとも簡単に取り入れることが出来るし、確か先生もそんな感じのことを言ってたんじゃないかと・・・

 

 この時点で、後悔しまくりの人生が実は決定するのです。

 

 そもそも、人間は神様ではないので後悔のない人生はあり得ません。それは分かっていても、人情として少しでも減らしたいとおもうのでしょうね。

 

 自ら後悔だらけの人生なんか選びたくないし、そんな勇気ある猛者は少ないと思います。後悔を避けたい大きな理由は自分のプライドを守るためというのがあるかもしれませんね。

 

 それでは、何故、学ぶと後悔決定なのかという事について書いていきましょう。学ぶとは過去の成功事例を真似ることです。しかし、現代社会は時代の変化が早く、論語の時代とは環境が恐ろしいほど違うのです。

 

 だから、学ぶと失敗確定となるでしょう。

 

 その時に人はどう思うのか?成功事例を真似ることで、確信を持てる人は殆ど居ないと思います。ただ、そうすれば良いとしか思わないのです。

 

 その結果、失敗すると落胆と戸惑いが残ることになる。それが意味することは理由が分からないという事です。それが、その失敗を引きずる要因となるのです。

 

 一生懸命言われた通りにしたのに・・・・これですね!

 

 そして、当然ながら、それは大きな後悔となって下手したら死ぬまで消えることはないでしょう。理由が分からないと人は納得できないからそうなるのです。

 

 それに加えて、もう一つ大きな要因があります。幼い頃より学ぶことを強要された現代人の癖は、何かと言えば、過去に縛られるという事です。

 

 特に現代社会はビジネス社会であり、資格社会となっており、これまでの実績を問われ、それが報酬となっているわけですから誰もが過去を気にするのです。

 

 こうした背景も、後悔をもたらす大きな要因となります。全ては学ぶことが作った社会であり、その弊害として後悔が付きまとうのです。

 

 三つ子の魂百まで・・・という言葉がありますが、この学び癖が人間を後悔だらけの人生に追い込んでしまうという事です。

 

 後悔する人生は嫌だと思って一生懸命学んで後悔だらけの人生にしてしまうという「アベコベ社会」の実態が少しはお分かりになるでしょうか?

 

 良かれと思ってやったことが良い結果をもたらすのではありません。良い結果をもたらすことが良い行動なのです。これは、強い者が勝つのではなく勝った者が強いという言葉と同じ意味です。

 

 

 さて、前置きはここまでにして、何故、後悔だらけの人生になるのか?が分かれば解消策は必然的に見えて来るのです。私たち人間にとって常に大事なのは明日という未来なのです。

 

 ある意味、過去はどうでも良いのです。済んだことをとやかく言っても未来は変わりませんので・・・・

 

 どうすれば良いかの答えは簡単です。学ぶことを止めること!

 

 そして、「自分で考えて行動する」という事だけです。言葉にすれば簡単なことですが、実行するのは結構難しいし勇気がいることになります。

 

 この「アベコベ社会」を脱するということになり、それは天と地をひっくり返すのと同じ衝撃が走るからです。人生がひっくり返ります。

 

 だから、辛くて苦しくて死にたい人ほど挑戦すると楽しくて仕方ない人生になるでしょう。

 

 考えるとは想像することです。想像は自由であり無限です。明日という未来も自由であり無限な世界なので、明日という未来を生きるには想像力がないとダメなのです。

 

 学ぶという行動は過去への執着を招くので後悔だらけになる。それは、逆に言えば、明日という未来を全く見てないという事なのです。

 

 それでは、夢も希望も無くなり絶望するのは当然のことです。もし、何時の日か自分が絶望したら、過去に縛られていた、未来を見てなかったという事なのです。

 

 明日問い未来を見るためには想像力=考える力が欠かせないのです。それは本来人間には誰でもあるモノでありますが、現代人は学校教育で学びを強要されることで失ってしまうのです。

 

 だから、口を酸っぱくして「学んではいけない」「学びは毒」だと言い続けているわけです。人間はとても賢い生き物なのです。大事なのはその賢さを発揮できる想像力を失わないことです。

 

 学びながら想像できると思う人も居るかもしれませんが、それは不可能です。前に進みながら後ろに下がることは出来ないのと同じ理由です。

 

 学ぶのと考えるのは正反対であり、天秤のような関係にある。

 

 学ぶと自由が奪われ可能性も消されます。その学びの枠の中に閉じ込められるからで、人間としての成長も止まることになります。だって、学ぶ時点でそれが最高なのだから。

 

 学びを超えることは出来ないのです。それは、そこを頂点としての劣化が始まることを意味します。師を超える弟子が居ないのはその為です。

 

 学びを始めてから人間はどんどん劣化しており、低脳化していいますので、状況は年々悪化していきます。自分の人生がどんどん悪くなるのは、自分という人間が成長するのではなく劣化しているからに他なりません。

 

 自分という人間が作るのが自分の人生です。私たちは、その人生を身をもって知ることで、考えを新たにし新たな行動をもって人生を改善するのです。

 

 しかし、学ぶ人にそれは出来ない。だって、正しいことを学んだのだからどうすることも出来ないのです。そして、人生は段々と絶望へと近づいていくことになるのです。

 

 前に進むという事は、当たり前ですが前を見る、未来を見るという事です。何もない未来にあるのは夢と希望だけです。そこに絶望というモノはないのです。

 

 それがもし見えたとしたら、未来ではなく過去を見ているだけなのです。絶望とは過去にしかないから。変えられない過去には夢も希望もなく絶望しかないのです。

 

 その錯覚を引き起こすのが学びという過去を見る癖となります。癖は理屈ではどうにもなりません。自然とそうしてしまうのだから。それが当たり前になっているからです。

 

 目に見える光景を鵜呑みにするのも学ぶ癖が引き起こすのです。この世界は「アベコベ社会」なのです。それは、かつて人間が天動説を信じていた時代と同じことであり、実は地動説が正しかったというアベコベだったということ。

 

 その決定的な証拠が、人生が苦しくなっていくという現実なのです。人間という生き物は、生き物の中で最も凄まじい成長をする生き物であり、長く生きれば生きるほど人生は楽しく豊かになるように出来ているのです。

 

 それを根底から壊しているのが学校教育であり学びなのです。

 

 前を向いて生きることで人生は天と地ほど違います。未来には絶望もないし後悔もない。今日私たちを苦しめる全てのことがないのが未来なのです。

 

 そういう未来を私たちは作れる力を持っている。しかし、学びというお粗末な枠に囚われてしまい未来を失い死にかけているのです。

 

 この事さえ分かれば、思い出されば世界は劇的に変わると思います。学びというたったそれだけのことで人間は滅亡へと向かっているのです。