【不治の病】30歳、40歳だって他人事ではない…「認知症」になる人・なりづらい人の差(文春オンライン)  

 

 

 認知症の原因を何かに擦り付けたい気持ちは分かりますが・・・

 

 それを糖尿病にするのは間違っていると思います。むしろ、脳の働きに糖分は欠かせないわけで、それを取り過ぎたからと言って脳が委縮すると考えるのはお門違いだと思います。

 

 ただ、一つだけ正しいのは、脳の萎縮は急激には起こらないということでしょう。細胞の再生は早いので、急激な変化は吸収することが出来るからだと思います。

 

 しかし、少しずつ起こる変化については、細胞の再生は弱い。そういう変化は大きなリスクとはならないという想定があるのかもしれません。

 

 本来、人間という生き物に対する病気というモノは外来物から受けるリスクである感染症だけだと思います。それは、人間に限らず全ての生き物に言えることでしょう。

 

 生きるために全てを持っている生物がリスクを内在することは論理的にはあり得ないという事です。もし、それがあれば、自ら生き物であることを否定することになるので。

 

 だから、それを防ぐシステムが用意されていない。当然と言えばとうぜんだと思います。

 

 そして、忘れてはいけない生物にとって最も大きい外来リスクが環境ということになります。その生物が誕生した環境が変わることで、生きていけなくなるということです。

 

 大抵の生き物は生活環境と社会環境は同じなので、生活環境である地球という自然環境が変わらなければ問題ありませんが、高等生物である人間は、生活環境と社会環境は別になります。

 

 そして、人間の凄さは、何れの環境も自分たちで自由に作ることが出来るという点にあるでしょう。つまりは、最も大きなリスクである外来リスクをコントロール出来るという事。

 

 それは、地球上に存在する全ての生き物の中で最後まで生き残る可能性を持っているという事でもあると言えると思います。

 

 しかし、それは飽くまで可能性に過ぎず、高等な人間の能力がキチンと発揮されればという前提条件を果たしたうえでのことです。

 

 それが果たせなければ、逆に苦しくなる。何故なら、人間には他の動物にはない社会環境リスクというモノがあるからです。生活環境リスクは分かり易く乗り越えやすいのですが、社会環境リスクは分かり辛く乗り越え辛いという側面があるからです。

 

 何故なら、生活環境リスクは目に見えて分かりますが、社会環境リスクは目には見えないので分かり辛いという特徴があるからです。

 

 そして、近年、人間を苦しめる病の大半は、この社会環境リスクだと言えるでしょう。そのリスクは実に幅広くしかも目には見えないので的確にとらえることが出来ない。

 

 原因不明の病が増えるのはそのせいなのです。一般的な外来リスクによる病気である感染症は、その原因を見つけるのは容易いですが、社会環境リスクによって引き起こされる病気の原因を見つけるのは相当に難しいのです。

 

 でも、人間という高等生物が作られる過程で、人間ならではのそういうリスクは想定されていたはずであり、その為に人間には心という他の動物にはない目には見えない器官が作られたという事ではないかと思います。

 

 それによって、本来は、社会環境リスクを見抜き、それに適切な対応を行い、社会環境リスクを減らす行動をとることで、人間を生かすという仕組みになっていたという事です。

 

 それを根底から壊したのが学びという行為だと思います。

 

 先天的に持っている優れた能力を、後天的に得た知識というお粗末なモノで上書きすることで、人間が生きていくために欠かせない能力を奪ってしまったのです。

 

 その能力を使うために人間に与えられた資質が要らなくなる。そして、それを担っていた脳が自ら消えていくことで、脳の萎縮が始まるという事です。

 

 これが認知症という不治の病の正体なのです。先天的に持っている優れた能力を使えば分かることですが、後天的に得たお粗末な知識で上書きしてそれを消してしまうと絶対に分からないこと。

 

 そのお粗末な知識をどう活用しても永遠に辿り着けない真実であると思います。これが何度も書いている「学校で勉強するからバカになる」という事なのです。

 

 それは、人間にとって自殺行為に他ならない。自ら自分の先天的に持っている優れた能力を大昔に得たお粗末な知識で消してしまってはダメなのです。

 

 人間は何故誕生したのか?何故、他の類人猿と違った反転を遂げたのか?そもそも、人間とはどういう生き物なのか?という最も重要なことを蔑ろにしてはいけないのです。

 

 諸悪の根源はそこにあります。学ばないからダメなのではなく、学ぶからダメなのです。人間が人間としてこれまで生きて来れたのは、学んだからではなく考えたからに他なりません。

 

 考えるとは想像することであり、それは人間にだけ出来ることであり人間にだけ許された神をも凌ぐ特権なのです。

 

 人間であり続けるには、それが欠かせない。それを失う事で人間ではなくなり、滅びることになるのです。是非、この事を知って欲しいと思います。

 

 別に難しい論理ではありません。普通に考えれば小学生レベルでも分かることです。大事なのは、人間である以上、人間とはどういう生き物なのか?という真実を知ることです。

 

 そこを怠っては何をやっても意味がないのです。仕事をする為には仕事を知らなければいけないことは誰でも知っている。何かの趣味や例えばスポーツを楽しむためにはそれを知らないとダメだという事だって知っている。

 

 しかし、最も大事な人間として生きるためには?

 

 という事に対しては実に適当であり疎かなのです。それはきっと、何の努力もなしに得たモノだからなのでしょう。全ては当たり前のようにできることだから。

 

 だから、それが出来なくなっても気づかないのです。そして、気がつけば人間ではなくなっているので辛く苦しい人生を強いられる羽目になる。

 

 そして、自分はダメな人間だと嘆くのです。本当は、その時点で、そもそも人間とはどういう生き物なのか?を考えれば良いのですが。

 

 その時は既に考える力を失っているので、立て直すことは出来ないという事です。

 

 今からでも遅くないので、今一度、そもそも人間とはどういう生き物なのか?という事から始めませんか・・・・全ては苦難は初心に返ることを教えているのですから・・・・