Qouraでの回答を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

毒親さえいなければ人生上手くいったと考えてしまうのは現実逃避ですか?

 

 現実逃避というより親の支配が強く自分を見失っているのではないかと思います。基本的に普通の親は大なり小なり子を支配しようとします。もちろん、それは我が子を思ってのことです。悪気が無いので子どもは苦しいのです。

 

 それを今では毒親と呼んでいるのですが、それは、自分という人間が何もしないから自分にとって毒になるのです。何故出来ないかと言えば、学校教育で学びを強要されることで、「自分で考えて行動する」という力がないからです。

 

 学ぶという行為は人間にとって自分を殺す毒なのです。学ぶという行為は過去を知る行為であり、それを真似る行為です。それは、パソコン操作で言えばデータのコピー&ペーストと同じことです。

 

 そして、そのデータは新しいデータではなく古いデータです。それが自分にペーストされれば、自分が上書きされて消されるのです。しかも、最新ではなく古いデータに。要はバージョンアップではなくバージョンダウンされるのです。

 

 人間の人間たる本領は、考えることが出来るという事です。考えるとは想像することです。想像は自由であり無限なのです。この自由と無限の可能性を持つのが人間の凄さなのです。

 

 肉体的な面を見るだけでも人間の凄さは知ることが出来るでしょう。生まれた時には目も見えないし耳もほとんど聞こえないし話すことだって出来ません。体を自由に動かすことも出来ない。

 

 それが時間と共に成長し、ある者は空を飛び、ある者は海に潜り、ある者は誰よりも早く走る。もちろん、誰にそういう能力があるのかを知る人は居ません。それは目に見える肉体的なことですが、実は目には見えない思考や感性は更に凄い成長を遂げるのです。

 

 そこには、人間にだけ与えられた想像力によって自由と無限の可能性を手にすることで実現するのです。そこに生まれた環境や生活環境などは大した影響を及ぼさない。自分の自由と無限の可能性を実現できる想像力をどれだけ自分で鍛えることが出来るのかに掛かっているのです。

 

 という人間の真実を知る者は殆ど居ないでしょう。

 

 せいぜい出てきた結果を見て天才だから出来たんだと言い訳をするのが関の山なのです。何故なら、自分という人間が学ぶことで消され、自由と無限の可能性を実現する想像力を失ってしまったから。

 

 日本には「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」という有名な言葉があるのですが、その意味を知っている人は殆ど居ないのです。それは、誰かを真似たコピー人間しか居ないから。

 

 学校で学びを強要され働く機械に改造されたから成長が出来ないのです。これが人間と機械の決定的な差です。家庭環境が悪いから、勉強が出来ないから、弱い人間だからという誰かに言われたことを真に受けたコピー人間となっているから夢も希望もない辛く苦しい人生を強いられるのです。

 

 確かに現在を作ったのは過去であり、それを否定することは出来ませんが、そこから先を作るのは自分なのです。過去現在未来と続いているように見えるのは錯覚であり、現在という今何を考えてどう行動するかで、過去と未来は天と地ほどの違いが出るのです。

 

 実際そういう人は五万といるのではないでしょうか?過去が未来を決めるのではない。今が未来を決めることを忘れてはいけません。そして、過去の悪い流れを断ち切って明るい未来にすることが生きるということなのです。

 

 むしろ、毒親がいたから自分の人生は光り輝くことになったというストーリーを自分で作っていけば良いのです。そうすれば、毒親は教訓となり自分の人生を素敵に変えた立役者となるでしょう。

 

 最大のピンチは最高のチャンスという言葉を忘れてはいけないと思います。そう変えられる自分の想像力を如何に鍛えるかで人生は決まるのです。

 

 改めて、想像は自由であり無限なのです。その事を忘れないで欲しいと思います。その自由と無限の可能性をどこまで堪能できるかが人生の醍醐味なのです。

 

 これが真実です。そして、学校では決して教えない真実です。