Quoraでの投稿を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

 

死にたいんじゃなくて生きる意味がわかりません。親が勝手に産んだのに、楽しいことより辛いことのほうが多い中で生きなきゃ行けない理由ってなんですか?

 

 人の大きな悩みの一つがそれだと思います。親に依って勝手にこの世に送り出された、そこに自分の意志がないと思う事ですね。しかし、本当にそうなのでしょうか?


 子どもが生まれるには受精が必要になります。受精がどうやって起こるかは保健体育で習ったので知っていると思いますが。基本的には一つの卵子に、億単位の精子が挑むわけです。その数億分の激戦の中で勝利したのが自分だという事。


 そこに意志は無かったのでしょうが?そんなへなちょこで数億分の一という競争に果たして勝てるのでしょうか?きっと、そういう激戦を生まれた後で経験することはないでしょう。しかし、誰もがその命の誕生の場面でそれを経験しているのです。


 もちろん、その自分を作った精子が何を思って挑んだのかを知ることは出来ません。たまたま偶然の産物だったかもしれません。理由はともかく数億分の激戦の勝者であることは自分がこの世に存在していることが示しているわけです。


 もし、それが僅かでも狂っていれば、自分ではない別の人間が誕生したという事になる。


 確かに、親は勝手に受精を段取りしたわけですが、親が勝者を決めることは出来ないのです。決めたのは自分の精子の力或いは運なのかもしれません。


 そういう激しい戦いを制して、この世に誕生したのが自分であるわけですが、その激戦を知る由もないわけで、この世界で起こる数万人の一レベルのちっぽけな争いで疲弊しているのです。


 実に知らないというのは恐ろしいことかもしれません。


 人間には他の動物と違って「自分で考えて行動する」という神をも凌ぐ力があります。考えるとは想像することであり、想像は自由であり無限なのです。こんな贅沢な生き物は他にないでしょう。


 他の動物は与えられた環境で生きるしかありませんが、人間だけは環境だけではなく、どう生きるかという事まで自由に出来るわけです。しかし、現代人は学校で学びを強要されることで、自分で考えて行動するということが出来ないのです。


 それは、人は学ぶと考えなくなるという性質があるからであり、多くを学ぶことで自由と無限の可能性を奪われてしまい、与えられた環境で与えられた人生を送るしかなくなっているという犬猫並みの悲しいレベルに劣化しているのです。


 自分が何のために生きるのか?というのは、人間にとって最も大事なことであり、それを自由に決められるのは人間だけなのです。その為には、それを考えなければいけない。しかし、学校教育でそれを奪われた人間はそのことが出来ないので生きる目的が無いのです。


 大抵は学校で教えられたマニュアル通りの目的を自分の生きる目的だと信じていきているだけ。だから、生きることは辛く苦しくなるのです。


 何でも自分で作れる人間は、当然、楽しいことも辛いことも自分で作るので、それを楽しい事だけにすることが出来るのですが、学んだ人間は、与えられた環境で生きるしかないので、辛いことが多くなるのです。下手したら、生きること全てが辛くなるでしょう。


 先ずは、この事を理解して欲しいと思います。大事なのは学ぶことではなく考えることです。考えるとは想像することであり、明日という日を知っている人間にとって、今はない未来は想像することでしか作れないのです。


 つまり、その何もない未来を全部楽しいことにだって出来るということ。それが出来ていないという事は想像していないという事を意味するのです。その現実に苛まれた人たちは辛く苦しい人生となり、生きることさえ辛くなるという状態に陥ることになります。


 人間は誰でも、未来を自分の思い通りに作ることが出来る。その為には、想像力を鍛えることが何よりも重要であり、それが足りないと自分の思い通りの人生にはならないという事です。


 そして、ここで注意して欲しいことは、学校教育で学びを強要されることで、大抵の人間は本当の自分というモノが消されているのです。その代わりに学校が推奨する偽物の自分が居座っており、それを本当の自分を思い込んでいるのです。


 その偽物が支配している限り、自分の本当の思いは生まれない。本当の思いか偽物かを判断する方法は非常に簡単であり、楽であるか苦しいかという事です。それは、無理をしていないかしているかという事になります。


 自分の行動に依って自分が苦しいのであれば無理をしている。それは本当の自分の思いではないからそうなるのです。誰かにやらされるているという証拠になるでしょう。その道を進んでも明るい未来はありません。


 その逆に、自分の行動に依って楽になるのであれば、それは無理をしていないという事であり、本当の自分が望んでいることになるという事です。


 この判断を間違えれば人生を棒に振ることになるので注意が必要です。その偽物を追い出す方法は学ぶことを止めることです。そして、「自分で考えて行動する」習慣を作ることです。他人を見たり参考にしたり真似たり気にしたりするのではなく、常に、自分を頼りにすることで、偽物は消え去れい本当の自分が戻ってくることでしょう。


 自分という人間を一番知っている本当の自分さえ戻れば、自ずと人生の目的を見出す方法が見えて来ると思います。非常に大変なことだと思います。しかし、これが出来ないと楽しい人生を手に入れることは出来ないでしょう。


 全ては学校教育の仕業なのです。学校教育さえ止めさせれば、こんなに面倒なことをする必要は無くなる。学校教育は人間を不幸にする諸悪の根源だと言えるのです。


 学校教育という名の洗脳を破るのは物凄く大変なことですが、挑戦する価値はあると思います。