Quoraでの回答を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

 

 

 それは、自分で考えて行動してこなかったからです。考えるとは想像することです。自分で考えて行動する能力は人間にだけ与えられたものです。従って、これをやるのが人間であり、これによって、自由を堪能し自分の思い通りに生きることが出来るのです。

 

 しかし、現代人でこれが出来る人は殆ど居ません。何故なら、「学校で勉強するからバカになる」からです。学校で学ぶことを教えられ、記憶力だけを鍛えられます。その結果、現代人は考えて生きているのではなく覚えて生きているのです。

 

 知識や情報を覚えて、それを駆使して生きている。と言えば聞こえは良いですが、実際は、知識や情報を通して他人に支配され他人の思うように操られて生きているのです。知識や情報を流布する人間の思いのままに操られているという事です。

 

 そういう人生が楽しいハズはないと思います。他人の思い通りに生きることは実に詰まらないのです。だって、そこに自分が居ないのだから。

 

 常にメニューを与えられ、そのメニューからの選択で生きている。それは、誰かの書いた台本通りに生きているようなものなのです。問題は、そういう人間は、自分で自分の人生の台本が書けないということです。

 

 つまりは、自分という唯一無二のスペシャルな人生を歩めない。過去の記憶を再現する人生をレールを走る電車の様に生きているだけなのです。そういう風に人間を改造するのが学校教育であり、言うなれば、人生を詰まらないものにしているのは学校教育であるという事になります。

 

 人生とは本来、年を取れば取るほど面白くなるのです。そういう人生を生きている年寄りが言うから間違いないのです。それを実現するためには「自分で考えて行動する」ことが必要であり、学んで生きる現代人には出来ないことです。

 

 学ぶとは真似ることです。何を真似るかと言えば過去を真似るのです。過去の誰かを真似るのです。しかし、学ぶ人はそのことに気づくことはない。何故なら、学校で学ぶことは大切だと嘘を教えられるからです。

 

 人間にとって大切なことは考えることです。想像することです。明日という今は何もない未来は想像しなければ作れないからです。過去を繰り返す未来は未来ではないのです。

 

 自分がどう生きて来たかの評価は最終的に自分で知ることになります。そして、年を取れば取るほど楽しくなるのか?それともつまらなくなるのか?ということで、自分がどう生きて来たかが分かるのです。

 

 どう生きて来たかとは、学んで生きて来たのか?考えて生きて来たのか?という事です。

 

 しかし、年を取って答えが見えた時には後の祭りとなるのです。そういうつまらない年寄りにならないために、学ぶことを止めて今からでも「自分で考えて行動する」習慣をつけていきましょう。

 

 言葉にすれば簡単ではありますが、やるとなると結構大変です。知識や情報に頼らす、規則や常識を超えて行かなければいけないので。

 

 私たちの未来は常に常識を超えたところにあるのです。「自分で考えて行動する」ことで、初めてそのことを理解できると思います。人間は自由であり無限なのです。