というタイトルですが、それは改めて書くまでもなく「学校で勉強するからバカになる」からです。バカとは何かと言えば、端的に言えば、自分を持たない者、自分を失った者、など、人間である自分がない者たちということです。

 

 地位、名誉、賞賛、お金とは一体何なのか?と言えば、それは他者による評価の証という事になります。近年、承認欲求なる新しい言葉が作られたわけですが、そういう言葉が作られた背景として、現代人が他者評価がないと自分を認識できない状態になっていることを示しているわけです。

 

 どうしてそうなるかと言えば、自分というモノを失うからという事になります。これについては常に、四半世紀前に起こった神戸の事件の少年が語った「透明な存在」という言葉を例に挙げるのですが、巣の自分が消えると透明な存在となり、不安で仕方なくなるのではないかと思います。

 

 当然、自分が消えるので、自分が何のために生きるのか?とか、自分は一体何がしたいのか?という事が分かりません。それは、人間としてとても苦しく辛い事ではないかと思います。

 

 そして、その苦しさや辛さから逃れるために、人は何かに没頭するのです。多くの人の没頭対象は仕事という事になるでしょう。仕事で成果を出し他人に認めてもらう事で自分の存在意義を見出す。

 

 自分が優秀な機械となることで評価を受け対価を受けることで、自分という人間の存在を示すことが出来るのです。それは、言い換えれば、自分の意志で生きているのではなく、誰かに操られて生かされている状態だと言えるでしょう。

 

 従って、ゴールはありません。死ぬまで、自分の存在価値を誰かに認めてもらうために生かされる人生となるのです。実に悲しい人生だと思います。

 

 紀元前の大昔の世界であれば、それも仕方ないと思いますが、21世紀という文明世界にあって、未だに人間はそんな生き方を強いられているのです。

 

 もちろん、そういう生き方を強いているのが学校教育であり、常識や規律を教え込むことで素の自分を消されるからです。素のわがまま自分を消した人間から高い評価を受けるので、子どもたちは自ら進んで自分を消していくことになる。

 

 そうやって、自分でそうしているという事は、誰かに強制されたという風には思えないわけで、それによって被る全ての悲劇は自分の責任だと思うようになるのです。

 

 他人を気にし他人の評価を気にして他人に支配される辛く苦しい人生が当たり前になると、そこから抜け出すことは出来ないので、受け入れるしかなくなるのです。

 

 後は如何に他人から高い評価を得るように生きるか?その対価としてのお金を楽しみにするしかないでしょう。もちろん、そんなものが消え去った自分を埋めることなど出来るはずもなく、どこまで行っても埋められない自分に永遠に苦しむことになるのです。

 

 こうした状態を抜け出すには、学ぶことを止め、自分で考えて行動することで消された自分を少しずつ復元するしかないのです。

 

 有史以来、人間は賢くなろうと学ぶことでどんどんバカになっていきました。そして、教育という洗脳が始まってからは更にそれが加速していったと思います。

 

 人間にとって本当の自分を失う事は死を意味します。本当の自分を失う事はそれほど大きいのです。自分が生きている意味や価値を実感できないという事は人間ではあり得ないのです。

 

 しかし、そういう人間が増え、そういう人間ばかりになるとそれが人間と呼ばれるわけです。こうなると、もう手の施しようがなくなるのです。

 

 繰り返しますが、人間とは自分で考えて行動できる生き物です。そして、それを壊すのが学ぶという行為であり、それを強要する教育となります。

 

 本当の自分が生きる人生を得るのか?どこの誰か知らない人から操られる人生を与えられるのか?その決断を幼い子にさせるのは無理だと思います。

 

 自分という人間が自分以外の何かを求めていたとしたら、それが操られている証拠となるでしょう。自分の発する言葉と行動で自分を見極められれば、本当の自分を取り戻すチャンスはあると思います。

 

 本当の自分で生きる人生が本当の人生であり、そこには全てがあるのです。だから、他に得たいと思うモノはなくなる。全ては、それが困る者たちの仕業なのかもしれません。