今や社会は崩壊しつつあり、人間関係はボロボロに壊れているのではないでしょうか?誰もが自分のことで精一杯で他人のことなど構っていられない。

 

 それは、人間の能力が大きく削がれている証拠なのですが、「学校で勉強するからバカになる」ことを知らない多くの人は、一生懸命勉強したから自分は能力が高いと勘違いしているわけです。

 

 テストの点数や会社で仕事内容が抜群だから能力が高いと誰が言ったかは知りませんが、そんなもので人間の能力を評価できるわけはないのです。

 

 例えば、泳ぎが早いからと言ってその人間の能力が高いとは誰も言わないでしょう。しかし、学問や仕事に関しては、そういう誰も言わないことを平気で偉そうに言う人が実に多いわけです。

 

 そして、そういうバカ人間にバカにされて仲間外れにされて孤独を感じる人が実に多いのです。殆どバカの上塗りになるのですが、そういう偉そうな人が偉いと思っているので凹んでしまうのです。

 

 人間には得意不得意があります。好き嫌いだってあるでしょう。そもそも人間はみんな違うので、電化製品みたいに優劣をつけることなど出来ないのです。

 

 それを愚かにも学校教育がぶち壊し、誰でもきちんとやれば出来る教科学習を行い、それをテストして点数つけて評価するというバカげたことをやっているのです。

 

 そういう中で人間の序列をつけて管理しやすいようにしているわけです。しかし、意外にも学校で良い成績を出している人間が価値あることをやっているかと言えばそんなことはないのです。

 

 学校で点数を取れた人間がやっているのは、出来上がった組織の中で上司のいう通りに行動しているだけ。組織の能力の高さに甘えているだけのボンボンなのです。

 

 話が逸れてスミマセン。

 

 そういう社会に於いて大抵の人は周りと自分を比べる比べる病になっている。そのウイルスをまき散らしたのが学校教育であり、教育の評価の相対性にあるわけです。

 

 しかし、人間というモノは誰一人として同じ人間が居ない唯一無二の絶対的な存在であり、相対的評価をする意味も価値もないのです。

 

 それでも、学校教育の十数年で、人間は他社の比較で自分の存在感を求めるしか出来なくなったのです。それは、自ら絶対的な人間を相対的な人間に貶めたという事になります。

 

 そうやって、他人との関係で自分の存在を認識するようになると、当然ながら孤独感に苛まれるようになるのです。だって、同じ人間は居ないので最終的には誰とも合わなくなるから。

 

 しかし、そうなっても誰かとの関係の下で自分を位置づけることしか出来ないのです。絶対的な人間には必要のない感覚ですが、相対化した人間にはなくてはならない感覚となるのです。

 

 学校でつけられた悲しい癖という事です。

 

 それを払しょくしないことには寂しさが消えることはない。そして、どうすればそれが出来るのかを今回書いておこうと思います。やっと、本題です。長くなってスミマセン。

 

 私たち人間にとって大事な繋がりは横ではない。常に縦なのです。

 

 横とは何かと言えば、今現実に存在する社会という事になります。その社会の先には国家があるわけで、国家の存在を確実にするためには、人々の横の繋がり持たせないといけないから、学校教育がそうしているのです。

 

 またまた、話が逸れてスミマセン。

 

 縦とは何かと言えば、血の繋がりです。父母に祖父母に、そう祖父母といった具合に、私たち一人ひとりには2のX階乗という一体何人いるんだろうという膨大な先祖が居るわけです。

 

 そして、その膨大な先祖のDNAの検証として今の自分がこの世に存在しているわけです。つまり、決して一人でははないという事です。

 

 しかし、残念ながら、自分の中に居る膨大な数の先祖の膨大な凄い力を利用する人はそんなには居ません。そんな力を使うより学校で勉強して力を付けるように仕向けられているからです。

 

 それは学校が選んだ人の真似をするという事です。という事で、この世界はコピー人間だらけという事になるでしょう。本当は全員が違う人間が、同じ知識をインストールされることで同じ人間にされてしまうという事になる。

 

 実に恐ろしいことです。しかし、それは真似であって自分の力とはならないという悲しい現実があるわけです。話が逸れるのでここまでにします・・・

 

 ということで、多くの人は自分の中に隠れている物凄い力を使うことなく人生を終えてしまうのです。そして、横の繋がりは環境に弱いので、例えば会社を変わるとか住まいを変わるとか環境が変わることで切れてしまいます。

 

 何と悲しいことに、最後は仕事を辞めることで人間関係の大半は切れてしまう事になる。本当に寂しいのはそこからという事です。

 

 でも、縦の関係は自分が生きる限り永遠です。血の繋がりですから絶対に切れることはないのです。昔の人間は、常にそれを大事にしてきたのを知っている人も多いでしょう。

 

 現に未開の地では、縦の関係だけで未だに社会を築いている人間も居ると思います。彼らは実におおらかで楽しい人生を歩んでいる気がします。

 

 そして、現代社会はと言えば、縦の関係を遮断することで私たちに横の関係だけで生きることを強いているのです。そうすることで社会が出来国家が存在しているという事になります。

 

 逆に縦の人間関係の人たちには国家はない。このことは非常に重要なことだと思います。

 

 縦に繋がれば寂しさという言葉は消えてしまいます。それは自分が生きている限り繋がるからです。自分の中に居る多くの先祖たちとの交流は見えない世界として全ての人間にはあるのです。

 

 別に墓参りをするとか宗教的なことを言っているのではありません。自分の中に居る先祖との交信をすることを提唱しているのです。

 

 それは、自分の心の中に居る。誰かも支配されない心というモノの中に本当の自分として存在しているのです。それはきっと全てを知っていると思います。

 

 何かを学ぶ時間があるのなら、自分をとことん知る時間を作るべきだと思います。その心の中に居る本当の自分こそ、自分を守る守護神であり、自分を幸せに導いてくれる先祖たちの思いだからです。

 

 人間は仕事をするために生まれてくる機械ではありません。全ての人は幸せになるために生まれてきている。しかし、自分の幸せは自分しか知らないわけで、それを他人が教えることは出来ないのです。

 

 幸せとは心が感じる感情であり、それを他人に教えることは出来ない。そこで登場するのが脳が認識する満足という状態です。幸せを知らない人間は、満足を幸せだと勘違いしてしまうのです。

 

 そこから人間の愚行が始まるのです。そして、満足をどれだけ得ても幸せになれないことを最後に知ることになる。その結果が今の私たちの社会の現状です。

 

 いよいよ、人類は最終段階へと追い込まれ始めたという事になるでしょう。満足を幸せと勘違いしたからそうなるのですが、幸せという感情を感じられない人間はそうするしか方法がないのです。

 

 感情は脳と違って条件というモノはありません。条件を付ける時点でそれは全て幸せとは違うのです。それは全て満足という事になります。

 

 満足に騙されない人生をどうすれば過ごせるのか?

 

 それは頭脳に頼らないことです。自分の心に正直に生きることで、その大間違いから逃れられると思います。