Quoraでの回答を転載します。何かのお役に立てれば幸いです。

 

最近、大学を卒業した身ですが…就職が出来ませんでした…今日も一日中、公園のベンチでのんびりしていました。もう手遅れてじょうか?

 

 

 リクエストありがとうございます。人間は働く機械ではないので、働けないことに落ち込む必要も意味もありません。そんなことより、この奇跡という言葉では語れない自分の存在を楽しむことを考えてください。

 人間とは自分で考えて行動する生き物です。勉強して他人から教えられた人生を生きる機械ではないのです。その為に最も大事なことは自分を知ることです。公園でのんびりしながら、自分という人間をキチンとプロファイリングしていきましょう。

 就職が出来ないこと落ち込む時点で、それは本当の自分が消されていることを証明しています。それは、誰かに則られている証拠なのです。学校で勉強させられているうちに、気づかない間に本当の自分はどこの誰だか分からない架空の人間にすり替えられている。

 学校を出て会社に入って生きて行くのが人間だという誰かにとって都合の良い働く機械へと変えられてしまっているのです。もし、その道を進んでいたら、実は酷い人生が待っているのです。本当の自分が居ない人生は楽しくもなんともない詰まらない人生となります。

 単に、お金や地位や名誉に縛られた奴隷のような人生です。下手したら定年するまで気づかないと思います。しかし、定年して仕事を辞めると、一体自分の人生は何だったのかを悩む日々を送ることになるのです。

 会社で肩書を失って素の自分しかなくなると、そこには何もない自分しかないので下手したら絶望すら覚えるでしょう。人生の締めくくりに入る時代になって、それは襲ってくるのですが、ある意味もう手遅れとなります。

 だから、そのリスクを下げられる点で、大いについていると言えるわけです。目先だけを見ていては何事も失敗するし思うような成果は得られないのです。

 終わり良ければ総て良し

 という言葉があるように、人間も長い人生を見て、どう生きれば終わりが良い人生となるかを若いうちから考えておくことが重要なのです。そして、その為には本当の自分というモノを構築しなければいけない。

 そもそも、それは本来誰にでもあるのだけど、学校教育で消されるので誰も持っていないのです。学校教育が人間にとって良いモノだと信じているので尚更厄介なわけです。

 恐らく、本当の自分とは非常識な自分であると思います。逆に言えば、自分を殺しているのが常識というモノであり、それを叩き込んでいるのが学校教育となるわけです。

 しかし、私たちの未来は常識の中にはありません。常識というのは過去の遺物であり、それがないのが未来だからです。どうか、常識を打ち破れる本当の自分を見出し、何でも出来る未来を楽しんで欲しいと思います。

 人生とは楽しむためにあるのです。幸せになるためにあるのです。そうなるために自分で考えて行動するのです。先ずは元気を出しましょう。私たちに起こることは私たちを苦しめるために起こるのではありません。私たちに楽しい人生を与えるために起こるのです。

 そう思えないバカになった頭脳をリフレッシュしましょう。人間の頭脳に不可能はありませんので。