たて続けにQuoraでスミマセン。言いたいことは山のようにあるのですが、何を言えばよいのか忘れており、それを教えてもらえるので、そういう状況になっています。

 

 今回は人の成長についてです。

 

成長には比較が必要ですか?比較すれば自分を失いやすいですか?

 

 リクエストありがとうございます。比較とは他者との比較という事だと思います。人間はみんな違うので、他者との比較は出来ません。出来ないことをするとおっしゃるように自分を見失うことになります。


 成長とは昨日できないことが今日できるようになることで自覚できると思います。もちろん、それは一つの喩であり、そんなに分かり易い成長は殆どないでしょう。従って、成長を意識する必要はありません。


 人間は前を向いて生きて行けば必ず成長するようになっているからです。昨日できなかった理由を検証し、昨日失敗した理由も検証し、それらの改善策を自分で考えて次に実行する。そして、その改善策が失敗すれば、その理由を考えて次なる方法を作る。これを繰り返すことが前を向いて生きるという事です。


 もちろん、最初はとんでもないことになるかもしれませんが、時間の経過とともに状況は少しずつ改善され、気づいた時には全く別の次元に自分が立っていることに気づくと思います。俗にいう世界が変わるという奴です。


 常に大事なのは、自分で考えて行動すること。そうしないと自分の成長はありません。何時まで経っても同じ景色しか見えない詰まらない人生になってしまいます。


 もし、成長しようと思って行動して自分を見失ったとしたら、それは自分を劣化させてしまったという事です。その状況になる要因は学びです。人間の成長にとって最も悪いのは学ぶことです。


 偉い先生たちは異口同音に学ぶことで成長すると言うので、大抵の人はそれを真に受けて実行し、成長はおろか劣化して自分を見失ってしまう事になります。

 

 何故そうなるかは「学校で勉強するからバカになる」という本を読めば分かり易いと思います。


 学ぶとは虎の威を借るのと同じことです。だから、それをやった先生方は威張っている^^;


 学ぶことで自分が偉くなったと勘違いするのです。それは、知識というモノがそういう錯覚を起こさせる。その知識を生み出すためにどれだけの時間と労力を掛けたかを知ることなく、その結果だけを得ることで勘違いするのです。


 しかし、自分という人間は知識を得ることで全く成長しないのです。何故なら、自分で考えて生み出していないから。それは中身のないAIみたいなものとなります。見た目は子ども中身は大人という優秀な探偵が漫画でありますが、見た目は大人中身は子どもというのが偉い先生たちという最悪の人間なのです。


 成長を目指すなら、大変ですが、知識や情報に頼ることなく自分で考えて行動することに徹してください。人生が全く違うモノになりますので、ぜひ、それをご自身の人生を通して体験して欲しいと思います。