常に、色んな所で出している言葉ですが、それがどういうモノなのかについて書いたことがないので、書いておこうと思います。書こうと思うきっかけをくれたのは、Quoraであり、その回答と合わせて書いていこうと思います。

 

自分を大切にするとはどういうことですか?なにかされてますか?

 

 リクエストありがとうございます。自分で考えて行動することです。全てを自分で決めること。ただし、自分とは本当の自分でないといけません。誰からも影響を受けていない素の自分。その自分を大切にすることを、本当の意味で自分を大切にするいう事だと思います。

 

 私の場合は、その自分の指示でのみ行動するようにしています。もちろん、仕事の時は上司の命令になりますが・・・それが出来れば、人生が楽しくて仕方なくなります。毎日ワクワクして生きれるようになり、悩みも苦しみをなくなります。

 

 そういう状態になった時が自分を大切にしているという状態だと思います。もし、しているつもりでもそうならない場合は、本当の自分ではない偽物の自分に騙されているという事です。非常に分かり辛いかもしれませんが、言葉で説明するとそういう事です。

 

 言葉で書くと、ざっとこんな感じですが、それで伝えることは難しいと思うので、もう少し言葉を足していこうと思います。

 

 自分を大切にするので、多くの人が間違えるのは、翻弄の自分ではない自分を大切にしてしまうという事です。これは、何度も書いているように、学校教育に依って、自分が否定されて消されたり、勉強させられて上書きされることで起こることであり、本人がそれに気づくことは非常に難しいと思います。

 

 学校教育とは洗脳であり、洗脳というのは本当の自分をすり替えられることだからです。問題は宗教の洗脳とは異なり、洗脳されることに誰一人として同意しているわけではないし、そもそも洗脳がされていることすら知らないという事です。

 

 小さいころ、とても素直で良い子だったのに、学校へ行ってグレて悲惨な人生を歩む姿を知っている人が多いと思いますが、学校へ行かなければ、そういう人生にならなかったんじゃないの?と思う人は誰も居ません。

 

 その現実こそが、国民全員が洗脳されて本質が、いや真実が見えなくなっているという事になります。新興宗教の信者は変な決まりに拘る人が多いですが、それは彼らにとって正しい事だからという事になります。

 

 そういう変なことが当たり前になるのが洗脳であり、学校へ行ってグレたら学校のせいだと思わないという変には気づけないのです。

 

 そして、洗脳された人は、その洗脳された脳を本来の自分だと認識してしまうわけです。大抵は現状の辛さから逃げたくて忘れたくて、そういう特殊な思想に飛びつくのですが。

 

 学校ではそういう理由も意志も関係なく、全国民が洗脳を受け、本当の自分を別の自分とすり替えられるわけです。洗脳とは、洗脳する者にとって都合のよい考えを浸透させることであり、その考えに支配されることを意味します。

 

 その時点で、本当の自分は消え去り、洗脳者の言いなりの別の自分が誕生するのですが、多重人格者でない限り、本当の自分は一人しか居ませんので、その学校に都合の良い=国家に都合の良い脳を本当の自分と思い込み、国家の奴隷となって国家に支配された人生を余儀なくされるわけです。

 

 従って、先ずは、この偽物を退治しなければいけません。しかし、この偽物は強固で非常に厄介な存在となります。ちょっとやそっとの攻撃では跳ね返されるのがオチです。

 

 それは人間に取りついたがん細胞のように、船底にこびりついた藤壺のように。それをはぎ取るには激痛が伴うし、それと同時に、その偽物が作った全てを失うことになるので、怖くて中々挑めないと思います。

 

 洗脳をキッチリガードしているのが常識というモノです。これを盾にしてあらゆる攻撃を防いでくるわけです。学校で身に着けた常識を使って生きてきているので、それに逆らう事はしをいみするかのうせいだってあるでしょう。

 

 学校教育に依る洗脳は、宗教がもたらす洗脳と比べ物にならないくらい強固なのです。この世に存在する最強最悪の洗脳となります。

 

 その最強のガードを打ち破り、洗脳を解けば、そこに本当の自分が居るわけです。本当の自分を救出することで、初めて自分を大切に出来るようになるのです。

 

 自分を大切にすると言いながら、大抵の人は洗脳された偽物を大切にするので、何も良くならないし、そもそも楽しくないと思います。

 

 本当の自分を覚醒させるために行う事は、自分で考えて行動するという事だけです。言葉にすれば分かるのですが、多くの人は多分分からないと思います。

 

 自分で考えて行動するという事がどういうことかを知らないからです。それは、他人のいう事を聞かない、知識や情報を学ばないという事です。

 

 そんなことすれば、本当の意味で自分で考えて行動するという意味ではないから。現代人は、他人の意見を聞き、知識と情報をたくさん学んで行動しているのです。

 

 それはとても楽な生き方であり、そこで何かを得てもそれは本当の意味で得たのではないのです。だから、楽しくないし、何よりも自分が成長しないのです。

 

 それでは、何時まで経っても小学一年生のままなのです。自分で考えて行動することで、何でも解決できる人間になれるようになるのです。

 

 その能力を全ての人間は持っているという事です。それを根底から壊しているのが学校教育であるという事になります。

 

 その能力は人間に自信を持たせ安定させます。どんな事あってもどんなに心が怯えて慌てても、心に落ち着いてと言ってきちんと対処できるようになるのです。

 

 こういう人間が居たら、もしかしたらスーパーマンと呼ばれるかもしれません。だとしたら、その人がスーパーマンではなく、それを全ての人間が本来は出来るので、全ての人間がスーパーマンと言えることになるでしょう。

 

 世に居る多くのスーパーマンは、単に本当の自分の力を発揮したに過ぎないのです。だから、きっと自分のことをスーパーマンだとは思いも依らないでしょう。

 

 大事なのは他人を見て努力することではないのです。他人のいう事を聞いて動くことではないのです。そんなことをして本来あるべきスーパーマンになることはない。

 

 別にスーパーマンになることが目的ではないので、そうなる必要はありませんが、全ての人が、そういう力を社会の役に立てれば、社会はどうっ変わるのか?という未来がワクワクしませんか?

 

 そういう未来の一翼を担っているのが全ての現代人なのです。しかし、現実には誰かのコピー人間ばかりであり、その誰か以上の役に立つことが出来ない。

 

 だから、世界は徐々に悪化しているわけです。

 

 まあ、別に世界を気にすることはありません。そんな事より、自分に自信が持てて不安なく何事にもしっかりと取り組める自分が居たとしたら自分自身がとても楽しい人生になるのです。

 

 何かを持っているから幸せと感じるのではありません。持つことで幸せと錯覚しているだけで、それは、タダの満足に過ぎないのです。

 

 そして、本当の幸せは、本当の自分に依って色んなことが自分の思うように出来るという事ではないでしょうか?自分が取り組みたいことを自分で作り、自分の最高のパフォーマンスでそれを為す。

 

 それはもはや結果は二の次となるでしょう。何よりも、失敗は望むところであり、失敗をすることで成功があるという事も知ることになるでしょう。

 

 こういう人間に、悩みも苦しみもないことは想像できるのではないでしょうか?怒ったり、ねたんだり、イジメたりといった言葉さえ消えるハズです。

 

 何故なら、そんな暇はないから、そんなことする時間がもったいないことを知るからです。こういう人が健康で若々しくハツラツと生きれることも想像できると思います。

 

 こういう人は幸せだと思うでしょう。もし、そう思われるのなら、そうすれば良いと思います。そして、それは他人になるコピー人間ではないのです。

 

 ただ、本当の自分というモノを目覚めさせるだけなのです。言葉にすれば実に簡単なことです。別に東大行かなくても出来ることです。お金がなくても出来ることです。

 

 そんなことあるか!!って思う人もいるかもしれません。しかし、そうなった時にそれは分かることです。後は、そうなれる自分をどこまで信じ切れるかだけでしょう。

 

 信じる者は救われるという有名な言葉がありますが、何を信じるかで天国と地獄になります。そして、天国に向かいたいのなら自分自身を、本当の自分を信じることになります。

 

 そして、それは何時からだって目指せるのです。その気にさえなれば。どんな状況に至って目指せるのです。そのきになりさえすれば。

 

 自分の人生を大事にして欲しいと思います。それは奇跡という言葉では語れない稀有なる確率で生まれてきているもので、二度とない貴重なモノですから・・・・