これは何度も書いたことだと思いますが、実際にそういう例をQuoraにて出会いましたので、その実体と対処方を回答しこちらに転載させて頂きます。

 

人は、何かを語る時、比べる生物で有る。比べる相手を変えると、評価はガラリと変わる。何故?比べる相手を自分勝手に、決めるのですか?

 

 お言葉を返すようですが、人間は本来比べる生物ではありません。何故なら、それぞれが全く別の世界で生きているから他人と違うので比べることは出来ないのです。それは、私が貴方の人生を知らないように、貴方が私の人生を知らないように。

 

 しかし、そんな人間に比べることを行うウイルスを感染させることで、人間は比べる病に罹り、非現実的な他人と比べるという事を当たり前のようにやるようになるのです。

 

 その比べるウイルスを人間に感染させるのが学校教育という事です。比べる基準として、どうでも良い教科学習をさせ、その覚えの良さ悪さで比べることをすることで他人と自分を比べるという事を徹底的に叩き込むのです。

 

 それを、物心ついた6歳から大人になる18歳、もしくは22歳まで徹底させることで、貴方のように人間は初めから比べる生き物だという錯覚を植え付けているのです。これを一般には洗脳と呼びます。

 

 それを植え付けられた人間は人間として生きられなくなる。だって、人間というのはこの世に唯一無二な絶対的な存在なのに、みんなと比べる相対的な存在となることで、人間というより機械と同じになってしまうのです。

 

 そして、機械に優劣があるように、本来人間にはない優劣という価値が生まれるのです。その結果、人間には本来必要ない優劣や正誤、善悪という価値観に縛られ機械のような人生を歩まされ、働くことでしか自分の存在価値を示せない本当の機械と化してしまうのです。

 

 比べる病に感染した人間は、他人を比べるのと同時に他人からも比べられることで、自分の自由には生きられなくなり辛く苦しい人生を送ることになるのです。

 

 洗脳が恐ろしいのは、その比べる病が病気ではなく人間として普通だと思う事です。そうなると辛く苦しい人生から逃れることが出来なくなる。もちろん、何故人間にそのような措置を施すのかにもキチンと理由はあるのですが・・・それは割愛します。

 

 何れにしても、もし、自分が苦しいのであれば、自分を苦しくするモノを疑ってみましょう。人間というのは実に正直な生き物であり、自分にとって何が問題かを心と体が正直に的確に私たちに教えてくれるのです。

 

 人間を困らせるために、苦しい思いや辛い思いを起こさせるのではなく、その思いの本質を知って、その思いから解放させるために、そういう思いをメッセージとして発信するのです。ですから、そこを間違えないで頂きたいと思います。

 

 長々と失礼しました。最後まで読んで頂きありがとうございました。ここに書いたことが上手く伝わると良いのですが・・・・

 

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 学校教育を全員が受けているという事は、全員が比べる病に完成んしているという事です。そして、そのせいで人間は人生を楽しめなくなっているのです。

 

 だから、私は学校教育を止めようと提案しています。教育とは言葉を変えれば洗脳なのです。つまり、学校とは洗脳をするところという事です。

 

 そして、新興宗教で洗脳された人や会社に入って洗脳された人は人間が変わると思いますし、それが洗脳に依るものだと教えても聞く耳を持たないのです。

 

 別に他人ですから、それで本人が楽しく穏やかに生きていければどうでも良いことですが、そういう人は稀であり、大抵はそれに苦しんでいるわけです。

 

 だから、精神を病んだり、実際に体を病んだりするのです。病は常に気からなのです。もちろん、表面上は平然として嘘をつくことは可能ですが、体と心はそれが出来ない。

 

 だから、病むことになるのです。

 

 洗脳を解くのは物凄く難しい。だから、洗脳を阻止することが最も望ましいのです。更に大事なのは、新興宗教は自ら洗脳を望むので救われますが、学校教育での洗脳は、多くの人は知らない洗脳という大きな問題があるのです。

 

 これは、憲法の柱である基本的人権を蹂躙している大問題でもあるのです。少なくても、主権者であれば、そのことを知り断固拒否すべきではないかと思います。