学校教育を止めることを提案しているわけですが、その最大の理由を見つけたので書いておこうと思います。そもそも学校とはどういうことろかということを見ていく必要があると思います。

 

 そういうことを真剣に考えたことがある人は殆ど居ないでしょう。誰もが当たり前に行くところ。そこで勉強して良い学校へ行ってより会社に行ってみたいな漠然とした認識・・・というのが殆どではないでしょうか?

 

 ある意味、実に気楽に行けるとことではあると思います。しかし、実際に入学すると気楽では済まないわけ、辛く苦しい日々の連続かもしれません。

 

 それは、きっと学校に対する認識がキチンと出来ないことから来るのではないでしょうか?上の学校へしかも高いレベルの学校へ行くなら、そういうところへ行ける学校や塾に行けばよい話です。

 

 しかし、学校は全国津々浦々にあり、しかも、同じ内容を教える場所であり、ある意味、同じ人間を作る場所という事が言えるのではないでしょうか?

 

 言い換えれば、個性を殺す場所という事です。だから、学校が嫌になる子が多いわけです。だから、そこで殺された人が周りの人を殺そうとするわけです。

 

 みんな一緒にみんな楽しくという大嘘をついて個性を殺していくのが学校というところなのです。何故そうするかと言えば、個性があると国家の思い通りに操れないからという事になります。

 

 黙った働いてお金を稼いで国家に貢献しろ!!

 

 という事なのでしょう。だから、それが出来ている人に国家は優しいのです。半面、それが出来ない人には厳しいという事になる。

 

 今や、学校がそういう場であることに気づいて学校に行かない子も増えて来ました。更に、エリートを目指す親は、塾中心に考えていると思います。

 

 まあ、これも大きな問題ですが、最大の問題はこれではないのです。長い前置きになってしまいました。

 

 最大の問題は、教師が何も知らないという事です。単に教科を教える塾ならば、大学出ただけで講師となることは可能ですが、逆に、学校は色んなことを教えているわけです。

 

 礼儀作法から善悪や正誤という価値観まで。人間を洗脳するには欠かせないものを洗脳する気なしで教えているわけです。この、何も知らないで教えることが最大の問題であり欠陥となるのです。

 

 この教科を教えることで何が変わるのか?この教科を教える意味は何なのか?という教えることの前提を全く知らないのです。ただ、決められたことを決められたとおりにしているだけなのです。

 

 そして、それを聞かない子どもは叱られることになる。そこには、当然、叱られる意味も分からないという理不尽なことになるのです。

 

 教師は学校教育を受けたことでなれる職業ですから、教師にとって教科はとても大事なものになるかもしれませんが、大半の教師を目指さない子どもたちにとっては、大人になって一切使わない知識は無駄でしかないのです。

 

 この考え方の違いが始まりとなります。しかし、親も教師と同じように、教科学習の結果、今の地位にあるわけで、何となく勉強が大事だと言ってしまうのです。

 

 人間はこれまでの経験の中でしか確かなことは言えません。従って、大事なのは多くの経験を重ねる、要は年を取ることです。

 

 大抵は、学校教育を受けた者の評価を就職や会社での評価で決めるのではないでしょうか?それは学校教育が、働く機械を作っているという証拠であり、機械で働くこと以外は何も考慮していないという事です。

 

 しかし、人間にとって大事なは、人生の最期になるのです。最終的な評価はそこで決まるわけです。そこまでの人生で何を学び同感が行動して来たかでそれは決まります。

 

 それが人間の価値というモノになるのです。でも、教師はそれを知らないし、親だって全く想像も出来ないでしょう。そして、それぞれがこれまでの自分の人生でものを言うのです。

 

 これは実に当たり前のことであり、わざわざ指摘するまでもないのですが、当事者にはそれが分からないのです。みんなが自分がどう生きれば幸せになるかを模索している状態であり、自分の行動が正解であってくれと願うしかないのです。

 

 そういう状態の大人たちが、子どもたちをまともに育てることが果たして出来るでしょうか?だから、間違った考えが何時まで経っても修正されることなく続くのです。

 

 それが現状維持で終わるならまだ救われるのですが、基本的には改善されなければ、現状は悪化の一途を辿ることになるのです。こうして学校はどんどんレベルが下がり、それに釣られて人間も劣化していく。

 

 もちろん、その結果が私たちの見る目の前の社会となって私たちを襲ってくるわけです。この状況を変える方法はありません。残されるのは学校解体だけとなります。

 

 それが出来なければ、どうなるかはもう何度も書いているので割愛したいと思います。