「私、発達障害かも」の半数以上は勘違い…対人関係で悩んだときに知っておきたい「発達障害」の診断基準(プレジデントオンライン)
今や対人関係に問題があると「発達障害」という病気とされるようになった。何度も書いているように医療がビジネスである限り、病気を増やすことが一番重要であり、その先陣に居る医者たちは挙って病気を増やしている。
その結果、人が病院に行く回数が増え、医者が儲かるということ。
私たちは、資本主義の世界に住んでおり、全てはお金で動いていることを今一度再認識すべきではないかと思います。
とは言え、恐らく人類が物心ついた頃から、最も大変だったのは他人とのコミュニケーションではないかと思います。それでも、言葉が発明される前は、嘘がつけないので何とか上手くできたことでしょうが、言葉が発明されて以来、嘘が入り込むので非常に厄介となっているわけです。
更に、私たち人間は同じ地球上に住んではいますが、その世界は千差万別であり、そこで使われる言葉や生き方は天と地ほどの違いが出ているのではないでしょうか。
そういう個々に大きく異なる環境で育った子どもたちが一堂に集められることで、先ずは軋轢が生じるのです。考え方の違い生き方の違いを認めないのが学校教育の悪いところであり、そうしたころから子どもたちの相互間の理解を深めることが出来ないのです。
そもそも、そういう風に違う子どもたちに、同じカリキュラムでの教育を施すという無謀を行っているわけで、子どもたちが歪むのも無理はないでしょう。
何度も書いているように、早急に学校教育は廃止すべきなのです。そうすれば、もっと互いの立場を理解できる環境を用意できるのではないでしょうか?
いずれにしても、そういう異常な環境で育てられた人間たちは、当然ながら、大人になっても人間同士の関係を築くことが出来ない子供のままという状態になっているのです。
そもそも、みんな仲良しという小学校の合言葉がいけない。そういう無理をするから表面的な関係しか出来ずに応用が利かないのです。
ここまで来ると、今や同じ日本人であっても宇宙人ほどの違いがあるのではないでしょうか?それくらい違いのある人間同士がどうすれば上手く付き合えるのか?
先ずは、正常とか以上とか、普通とかといった意味の分からない言葉を使わないことです。もはや、そうした言葉は死語であり、使えない状況にあるからです。
そういう使えない言葉を使うことで、状況が悪化することになるのです。以前、書いた自己肯定感という言葉で示したように、時代とともに新しい言葉が生まれるのとは対照的に、使えない言葉が出てくるのです。
それは、社会の変化によるモノだと思います。従って、新しい言葉を使うのとは逆に使ってはいけない言葉を使わなくすることで、状況は大きく変わるのではないでしょうか?
今は、普通な人も正常な人もいない^^;
ある意味、みんな異常だし変なのです。だけども、それが本来の人間ではないでしょうか?
歴史になる前の人間はそうだったんだと思いますよ。それを、宗教だのお金だのを駆使してそろえて管理しやすいように改造されていったのが記録に残る人類の歴史ではないでしょうか?
それしか知らないので、人間はそういうもんだと思い込んでいるだけのこと。私たち人間の歴史は記録に残らないほうが圧倒的に長いのです。
そして、そこに人間本来の姿がある!!!
その人間を改造した方法は、何度も書いているように、宗教が作り出す神という嘘と、資本主義が作るお金という嘘なのです。
私たちは気づかないところで、それらの噓によって騙されて改造されているのです。だから、人間として本来できることが出来なくなって来ている。
その代表が、人を愛することや子を儲けるといった本来持っている力です。そして、それを実現させるための思いやり。他人を理解しようと努力する行動でしょう。
その断片が、例えばペットに対する異常なまでの行動に見ることが出来ます。私には人間を愛することで手一杯なので、ペットを大事にする余力はない^^;
教育によって改造されながらもそうした片鱗は残っているのです。もし、あの行動が人間に向けられたらどんなに良いかと思うのですが、中々そうはならないようです。
人間同士のコミュニケーションはこの世で最も難しい技術だと言っても良いと思います。従って、上手く行かないのが当たり前なのです。それは病気でも何でもありません。
上手く行っていると思っている人は騙されている可能性が高いでしょう。それほど、この世界は嘘が蔓延しているのです。従って、大昔の人間がコミュニケーションしていた頃からすれば、相当に難易度は上がっており、非常に厳しい状況と言わざるを得ないでしょう。
これもまた、先ずは学校教育を廃止して、子どもたちが嘘をつかなくて良いようにしてあげることが重要ではないかと思います。
そうやって、人間が作く嘘を少しずつでも減らしていく努力が最も大事ではないかと思うのです。何故なら、嘘は全てを壊すから。全てを無駄なものとしてしまうからです。
それは、宗教と資本主義がついた嘘によって、これから我々が受ける様々な苦難で知ることが出来るのではないかと思います。
昔は、人間教育の最初に「嘘をついてはいけない」という教えがあった気がしますが、今やそんなことをいう人は居ないでしょう。
私たちが苦しむのは噓のせいなのです。資本主義におけるお金がつく嘘によって我々は人生を狂わされ、人間性を壊されている。今や人類はボロボロではないでしょうか?
何度も書いているように、このままでは人類の寿命はあと100年程度となるでしょう。80億人の人口が居るのにと思うかもしれませんが、きちんと検証すれば誰にでも分かると思います。
千丈の堤もアリの一穴からという言葉がありますが、誰かがついた些細な嘘が時間を超えて世代を超えて我々を襲ってくるのです。
そういうことをぜひ考えてみてください。自分の発言や行動が誰かを動かし未来を創るのです。そこに嘘が入ったらどうなるでしょう。
巨大なビルを建てるのに、嘘が入って大事になった事件がこれまでにも幾つかありましたね。幸い、事前に分かったので修復できましたが。
もし、表に出す分からない嘘となっていたら、いつかその建物は崩壊し多くの人の命を奪うことになるでしょう。きっと、それらの嘘は金儲けのためについた嘘だと思いますが・・・・
そういうたくさんの嘘がこの世界には充満しているのです。それらが一気に壊れだしたらどうなるのか想像するだけで怖いのではないかと思います。
そして、未だにそうやって嘘をついて金儲けをしようとする人は五万といる。そういう社会で果たして人間は生きていけるのでしょうか。
お金のためなら何でもする人間を作ったのは学校教育であり、それは、成績さえ良ければ良いという発想から生まれているのです。
もちろん、そうでない人もいますが、そういう人は社会の底辺で厳しい環境に晒されていることでしょう。全ては嘘がそれをもたらしたのです。