母親なのに仕事をして、子供に向き合えていない…子育て世代を苦しめる「普通のお母さん」は虚像である(プレジデントオンライン)  

 

 

 「思い込みにとらわれない生き方」という本を、思い込みをさせて来た人間が書くことに違和感を覚える人は少ないだろう。書いた本人が全くそのことに気づいていない。

 

 そもそも、母親に仕事をさせる社会に疑問を誰も持たないというのが恐ろしい事である。教育者とは何かと言えば、人を働く機械に改造する人たちを言うのであり、そういう疑問を持つことはないし、そういう疑問を与えることもない。

 

 大事なのは、そういう疑問を与えないということである。

 

 世の中は疑問を持つことを許さない。疑問を持たない人間に降りかかるのは評価だけである。学校では常に「善悪」と「優劣」の評価に晒されて来たわけで、大抵の人間は評価が染みついている。

 

 従って、何故という疑問が浮かんでこないのである。それが教育の最大の目的であると言っても過言ではない。評価は個人間に争いを生むので、政府の存在を守ることが出来るからである。

 

 その点、何故という疑問は、その大本である政府の存在を危うくする。

 

 何故を突き詰めて行けば、必ず胴元に辿り着くからである。だから、国民に何故という疑問を持たせてはいけないのだ。これは統治の大原則と言えるだろう。

 

 そして、評価に浸らされた国民は互いにいがみ合い攻撃し合って政府を守るのである。その結果、苦しむのは常に国民となり政府は安泰となる。

 

 こういう図式を陰で支えているのが教育者という名の詐欺師である。もちろん、教育者に自分が詐欺師である自覚はない。大抵は自分は正しい事をしていると信じて疑わない。

 

 これもたま評価という世界にいることで、何故という疑問を持てないから永遠に気づかないという悲しい結末をもたらす原因となる。

 

 何故を考えて行動していけば状況は改善へと向かうが、評価に追われて行動すれば状況は改善されることなく自分を追い込んでいくだけとなる。

 

 自分がどういう状態にあるかで、自分が何を考えて行動しているのかが分かるのであるが、評価に縛られる多くの人たちには考えることが出来ないので、自分の置かれている意味を知ることは出来ないのである。

 

 我々人間にとって最も大事なのは「何故」という疑問である。そして、この世に数多居る動物の中で、いや生き物の中で、そのことを考えられるのは人間だけである。

 

 そして、我々人間は、この何故に依って成長してきたことを忘れてはいけない。従って、何故を忘れた人間は成長できないのである。その典型となるのは教師であり、教師に従順な教授に官僚に経営者となる。

 

 評価に追われる人間は歳を取れば取るほど生きるのが辛くなるだろう。そして、何故を考えていく人間は、歳を取れば取るほど楽しくなる。どちらを選ぶかは言うまでもないが、問題は評価に追われる人間たちにその意味が全く理解できないという事にある。

 

 資本主義の世界は誰かに評価されないと存在できない。

 

 これが人類を滅ぼす元凶となる。前にも書いたが「善悪」という評価は宗教を捨てれば消せる。そして「優劣」という評価は資本主義を捨てれば消せる。

 

 この二つを捨てる事で初めて、人間は本来の人間として生きていけるのである。宗教と資本主義は共に考えであり、それは以前書いたように我々の脳に巣食う知的ウイルスである。

 

 人間は、これらの知的ウイルスのパンデミックで滅びるのである。一般的な目に見えないウイルスに抵抗するのは免疫となるが、この知的ウイルスに対する抵抗は心が放つ感情となる。

 

 知的ウイルスの感染を知能で探ろうとしたり知能で排除することは出来ない。だから、大抵の人はこの知的ウイルスに感染しても気づかないのである。

 

 それは知能というのは平気で嘘がつけるからであり、それは、我々が常に見る事が出来る仮想現実というモノから容易に想像できるだろう。そして、今やその仮想現実にドり込まれる人は実に多いのである。

 

 目に見えるモノで作られる仮想現実を見破る術は目を瞑るしかない。目を瞑ると脳の活動は弱まる。そして、その代わりに目には見えない世界を見る事が出来る心が働くだろう。

 

 人間にだけあるとされる心。目に見えないモノを見れる心。この心こそが我々人間を守れるのではないかと思う。何故なら、心は嘘が付けないからである。

 

 我々が生きるこの宇宙、そこにあるのは全て真実である。真実とは何かと言えば「あるがまま」という素である。宇宙に流れる理は「あるがまま」だけなのだ。

 

 しかし、そういう宇宙にあって唯一嘘が存在するのが人間の脳である。真実だけで構成されるこの広大な宇宙の片隅何故嘘というモノが出来たのかは分からない。

 

 それは、広大宇宙を超える能力を我々人間が持ったという事なのかもしれない。ある意味、嘘がないこの世界の中で唯一の嘘が人間なのである。

 

 そして今、その人間が自分の作った嘘で自滅しようとしている。宇宙の英知を凌駕した人間がまさかの自滅。それは悲劇というより喜劇と呼ぶしかないのかもしれない。