「この状態続けば廃業する」 消費低迷、凶作で市場縮小...和歌山の梅干し問屋が訴えた「危機感」(J-CASTニュース)  

 

 

>供給も十分できずに値段が上がってしまい、市場も縮小したところに
>2年間の豊作が続き原料が飽和しました。
 
 これは天候による不作での出来事でやむを得ずの値上がりかもしれませんが、基本的に庶民の消費意欲と価格は反比例します。それは、かつての自動車やパソコンに携帯電話が普及した状況からも分かるでしょう。
 
 価格を上げる事で売上金額を一時的に上げることは出来ますが、家計負担が増えると消費者は必要に応じてモノを買うという意識が強く働くのです。
 
 値段が上がることで財布の紐は絞られる。
 
 これは経済学者にも当然分かることですが、一度絞られることに依って二度と買わなくなる商品も出てくるわけです。
 
 お金に余裕があった時代には買っていたものが、物価上昇でお金の余裕が減り買わなくなる。これもまた市場収縮の一つと言えるでしょう。
 
 良いモノを安く作るという商売の基本をやり続けても、最終的にはモノが売れなくなるという悲しい結末が待っているのですが、それを回避しようと値段を上げる事で、更に消費は減るということです。
 
 モノを作って売ることで、或いはサービスを考えて売ることで、人々がお金を払って買ってくれるから経済が発展するのですが、モノやサービスを売ろうとすればするほど売れなくなり経済は衰退するという悲しい末路があるわけです。
 
 それは、本当に豊かになればお金は要らなくなるという事を示しているのではないかと思います。
 
 そもそも、モノやサービスを売ることで得ているのはお金ではなく、豊かな社会という誰もが楽しく生きていける環境ではないのでしょうか。
 
 しかし、最初からそれを目指してもさもしい人間たちは動かない。自分たちがどう生きればどう行動すれば幸せな人生を築けるのかが分からない人間たちを動かすにはお金という目に見える分かりやすいモノが必要だったのだと思うのです。
 
 しかし、さもしい人間たちは、何時まで経ってもお金にしか目が行かず、自分たちの人生を顧みる事が出来なかったという悲しい結末となったのではないかと思います。
 
 ある意味、先人たちの苦労を水の泡にしてしまったという事です。
 
 早くそのことに気づいかないと民族いや人類そのものが水の泡となるわけで、本当に悲しい結末となってしまうわけです。そして、本当に悲しい結末を迎えるまでの時間はそれほど長くはない。、
 
 正直、後は祈るほかないのかもしれません^^;