2022年視聴率ベスト30発表 1位は42・9%のW杯コスタリカ戦 24時間テレビなど健闘(日刊スポーツ)  

 

 

 

 多くの人たちが熱狂するスポーツ。その何が問題なのかを考える人は殆ど居ないだろう。
 
 スポーツは今や戦いの象徴であり、ソレはかつての戦争と同じなのだ。もちろん、命が奪われる事はないが。
 
 しかし、その戦争の舞台に立つまでに奪われた命がないわけではない。そして、スポーツに熱中する人たちの人生を奪っているのは間違いない。逆に今やスポーツに人生を捧げる事を幸せだと思う人も多いだろう。
 
 自分の人生を何かに捧げることが尊いとされだしたのは、宗教に於ける神の誕生からではないだろうか。そして、今日では、お金に人生を捧げることが最も尊いとされているのだろう。
 
 その一端をスポーツが担っている。スポーツを通して敵と戦う事の意味は何なのだろう。勝つと嬉しいが負けると悔しい。この二つの感情の狭間で人はもがくのである。
 
 日本に於けるスポーツの始まりは既に書いたが学校教育に於ける運動会である。あれは間違いなく戦意高揚であり、他人と戦い倒すことで滴定心を高揚させて戦争への足掛かりとされている。
 
 敵と味方に分かれるので戦いやすいというのがあるのだろう。敵とは当然人間である。人はスポーツを通して他人と戦う事を覚えさせられるのである。
 
 そういう戦闘意欲が戦争終結と共に必要なくなるのだが、学校教育を続けたお陰で、戦闘意欲は向上させられる続ける。その結果、生まれたのが受験戦争であることは言うまでもない。
 
 ことごと左様に日本人に争う事を強いて来た学校教育が、この世知辛い生きていくのさえままならない日本社会を作っている事を知っている人がどれ位居るのだろうか。
 
 このテレビ視聴率ランキングは、そのことを殆どの人が知らないという事を明確に教えてくれると思う。煽られた戦闘意欲は下々にまで行き渡り、敵と戦うゲームやスポーツに熱狂させている。
 
 この数字は日本社会が戦闘状態であるという数字であり、敵と戦うスポーツに注目されるうちは少子化は止まらないと言えるだろう。
 
 先だって書いた「ピノキオ」に見られる表と裏。勝った負けたと大騒ぎしている間にロバは増え続け死んでいるのである。
 
 人間社会で人間同士が争う事はご法度である。というより、人間同士が争う事が起こること自体がおかしいのである。良く世間ではみんなが心を一つにすれば的な事がまことしやかに言われるが、人間世界でそれがあることは異常であり有ってはならない事なのである。
 
 何故なら、それこそが争いの種であり争いを大きく燃え上がらせるものだからである。スポーツが単なる運動に戻れば、人間世界が人間らしい世界になった証となるだろう。
 
 運動は他人と倒すためにやるモノでもなく、大金を稼ぐためにやるものでもない。人々が体を動かし健康になる為のモノ。もし、そこに栄光があるとすれば、健康で長生きできることではないかと思う。
 
 平和に見える世界ではあるが、運動に没頭するほど世の中は平和ではない。自分自身の平穏、家族の平穏、周りの平穏、今や全ての平穏は殆ど壊されている。