政府の予測より10年早く少子化が進んでいる……⁉ 日本の少子化の“現実”を突きつける「ヤバすぎるデータ」(現代ビジネス)  

 

 

 

 何度も書いているが、少子化の原因を未だに特定出来ていないのが最大の問題と言える。
 
 もっと言えば、特定できないのかしないのかと言えるのかもしれない。何故なら、少子化の原因は資本主義にあるからです。
 
 もっと言葉の意味を考えましょう!
 
 資本主義=お金主義=お金教
 
 要は、お金が神となる宗教という意味です。ソレはお金が最も大事な世界ということ。人間よりもお金が大事にされる。
 
 だから、戦争が起こり人間が殺され減っていくのです。人間が殺されるというのは単なる殺人だけではありません。
 
 人間が人間たる所以を殺される事を言います。
 
 人間が人間たる所以とはなんでしょうか?
 
 今やそれさえ知らないし考える事もしなくなっているのではないかと思います。そういう状況は既に人間が殺されているのと同じなのです。
 
 人間の所以は当然人間にしかないモノになると思います。そう言うと、誰もが人間が築いた文明を挙げる事でしょう。
 
 人間の叡智がもたらす科学に依って気づかれた華やかな文明。確かにそれも人間にしか出来ない事と言えるでしょうが。
 
 この華やかな文明の先に人間は必要なのでしょうか?必要なのはシステムとエネルギーであり、人間の存在はむしろ邪魔ではありませんか?
 
 まあ、ソレは資本主義を支えた仕事というものを見れば分かると思います。人間にしか出来ないと思われた仕事はどんどん機械に取って代わられている。
 
 ソレを象徴する言葉は「自動」だと思います。
 
 ソレは本来、自分で考えて行動する人間の専売特許であり、ソレを機械というものに移植することで実現されたものだと言えるでしょう。
 
 しかし、それに依って人間は文明から弾かれる様になっていったのです。これは大きな誤算と言えると思います。
 
 効率や合理性を追求することで、人間が弾き出される事になるとはお釈迦様でも気づかなかった末路だと思います。
 
 だから、ソレを受け入れる事が出来ないのです。だから、文明によって自分たちが弾かれて行ったとしても文明にすがるしかない。これを支えているのが信仰というものです。
 
 神という人間の手本を作り出し人間は信仰という言葉を生み出した。確かに信仰によって救われた人も居たと思います。しかし、信仰は人間を狂わせ人間を殺すことを信仰によって平気にしてしまったのです。
 
 そして、信じる者しか救わない神に見切りをつけ、学ぶことで誰もが手に入れられるお金という新しい神を作り出したのです。これによって救われる人は格段に増え、多くの人を豊かにして行きました。
 
 豊かになれば誰だって幸せになれるという新しい信仰は信じる者しか救わない神を遥かに凌駕し世界中の人に広がっていったのです。しかし、それは信じなければ済む神と違って、逃れられない運命となって我々を責めるようになってしまいました。
 
 人間にとって信仰というのは何かと言えば、世界中を恐怖に陥れるウイルスと同じなのです。それは、普通のウイルスと違って言葉によって広がる知的ウイルス。
 
 神を崇拝するウイルスの流行は感染症流行で言えば、ハイパーエンデミックというレベルに留まりましたが、お金を崇拝するウイルスは、まさにパンデミックを引き起こしたのです。
 
 逃れられない運命と化した経済。その経済の没落が人間の運命となるのです。その運命とは何かと言えば少子化が指し示す人間の減少・・・つまりは人類の滅亡という末路です。
 
 生き物というのは多様性を生きる為の術として持っている。同じ種族であってもそれぞれが少しずつ違う遺伝子から作られることで、種族全体が滅ぶことがないように。
 
 普通の生き物はそれで自然の脅威から身を守れるのですが、人間にだけ宿る優れた脳には、脳に宿る知性によって多様性が壊されて行くという大きなリスクが内在していたのです。
 
 目に見えるリスクには対応できますが目に見えないリスクには対応できない。もちろん、目に見えないリスクも言葉には出来るわけですが、その言葉が通じるとは限らないという言葉の欠陥によって反故にされるのです。
 
 言葉は嘘が付けるという致命的な欠点を持っているから。
 
 嘘と本当を見分けるのは非常に難しいのです。何故なら、神という嘘もお金という嘘も未だに見分けられていない。どんなに酷い嘘も信じる事で本当となるからです。
 
 その言葉が本当であるか嘘であるかを唯一教えてくれるのが時間です。時が経つことで嘘は酷い現実をもたらす。嘘は時間に弱いのです。人間の建造物が自然の風化という現象によって崩壊するように。
 
 脆弱な嘘は一瞬でバレますが、嘘が強固になればなるほど、それを信じる力が強ければ強いほど、バレるのには時間が掛かる。それは何を示すかと言えば、もし間違ったことを信じてしまうと助からないという運命を手にするという事です。
 
 人間の優れた脳には、こういう大きなリスクがあったという事です。優れる者が最良だとは限らないということだと思います。
 
 我々が苦しい道を進んでいるのは、間違いなく間違った信仰にあるのです。我々の運命を牛耳っているのは信仰。何を信じるかだと言えるでしょう。
 
 苦しい状況は、人を疲弊させるわけですが、それは間違いです。苦しい状況は信じるモノを変える時という合図であると言えるのです。それは、未来を良くする光となるのです。
 
 見える状況を変えても何の意味もないのです。何故なら、問題は外にあるのではなく内にあるのだから。信じた自分が悪いと思ってはいけない。そう思う事で信じることに縛られるから。
 
 大事なのは、私たちは人生を賭けて自分を幸せにする信仰を作っていかなければいけないという事です。誰かに教えられる信仰ではなく、自分で作り上げる信仰を。
 
 だから、間違えるのは当然なのです。逆に間違えなければ本物とは出会えない。何故なら、間違えない信仰は狂気となるから。人間をバケモノに変えるからです。
 
 かつては神を信じたバケモノが人間を殺し、そして今、お金を信じたバケモノが人間を殺し人類を滅ぼうそうとしているのです。神は人間を善悪で分け殺ろさせ、お金は人間を優劣で分け殺させる。
 
 仏の顔も三度までと言いますが、人類は二度の失敗でこの世から葬り去られようとしているのです。しかし、三度目の正直という言葉がある。次なる選択で我々は全てをクリアーできる可能性を持っていると思います。
 
 それは二度も間違えたから得られる可能性。しかし、それは二度の間違いを認めなければ得られない可能性でもある。日本には「過ちを改めるに憚ることなかれ」という名言があります。
 
 是非、この言葉を思い出して欲しいと思います。我々に最も必要なのは、謙虚さだということです。状況を素直に受け入れ分析し反省し行動する。小学生に教える基本だと思います。