なぜこの10年で高校野球部の半数が消えたのか…野球離れを悪化させた「甲子園を目指す野球」の罪深さ(プレジデントオンライン)  

 

 

 

>勝利至上主義はスポーツの本質からずれている
>という――。
 
 何を今頃という気がしないでもないが。何故、スポーツに勝利至上主義が導入されたのかと言えば、それは、資本主義が勝利至上主義であるからなのです。
 
 野球がここまでの発展を遂げたのは学校スポーツだからであり、学校に通う事で野球をし、甲子園という晴れ舞台に出ることが出来るから。甲子園に出るためには、地区予選で優勝しなければいけない。
 
 地区予選では学校上げて応援し、相手高校との戦いに選手のみならず全校生徒が加わって志気を上げたのです。そもそも、学校で行われる運動会も児童生徒を運動で競わせることで闘争心を養うために始められたこと。
 
 学校でのスポーツは全部そうなっているのです。そうやって、児童生徒たちに闘争心を植え付けていくのが目的なのです。そして、高校野球はその代表的なモノとなり、全国大会である甲子園は、公共放送で全試合がテレビ中継されるという異例の対応がされたわけです。
 
 それを後押しする「巨人の星」などの漫画がヒットし、野球は特別なスポーツとなっていったのではないかと思います。そうやって煽りまくったことで、ある意味、特に高校野球は趣味のスポーツではなく、仕事の様なスポーツとなりました。
 
 そして、一握りのスターと数多くの敗残者を生み出したのです。野球ばかりやっている野球バカが数多く作られ、貴重な青春を無駄にした人たちがたくさん出たのです。
 
 もちろん、それは野球だけではなく、他のスポーツでも野球に追随する動きが出て来たのではないでしょうか。そうしたスポーツで根性を鍛えられた逞しい兵士たちが日本経済を支えたのは言うまでもありません。
 
 その結果が、今日の過酷な競争社会を作っているのです。その基盤となる闘争心を学校スポーツが担っているという事です。そうやって戦い続けて来た人間はボロボロにされているでしょう。
 
 定年を迎える頃には廃人になっているのかもしれません。
 
 何度でも書きますが、人間は戦闘には向きません。戦えるようには作られていないしプログラムされていないのです。そういう人間をあの手この手で改造して他人を殺せる人間を作っているのが学校なのです。
 
 その、あの手この手の一つが学校スポーツという事になる。しかし、それを学校でやるには教師の負担が大き過ぎるわけで、働き方改革を進めている政府としては、教員の働き方も見直さざるを得なくなり、少子化による単独校でのスポーツ推進が限界に来ていることからも、地域に根差したクラブ化へと移行するところではないでしょうか?
 
 これまで、資本主義を支えた競争社会が今後大きく後退していくのではないかと期待しています。
 
 野球の栄枯盛衰が日本の経済発展と後退とに重なって来るのは偶然ではない気がします。スポーツは体力増進と健康のためには欠かせないモノであり、その本来の目的に戻っていけば良いと思います。
 
 そして、スポーツバカという人たちが一人でも減れば、社会は少しずつ良くなっていくのかもしれません。社会を良くするには社会の仕組みを良くするしかないのです。
 
 もっと、誰もが社会の一員として、社会を良くする責任と力を持っていることを自覚すべきだと思います。それを怠って来たから社会は荒れ果ててしまったのです。