あとを絶たない『指導死』 苦悩する教育現場の本音  

 

 

 何故、苦悩するんでしょうね。答えは明確に出ている。

 

 たかがスポーツごときで、たかが勉強ごときで、人の命が奪われる学校という場所の正体とは何なのか?

 

 そういうことで苦悩して答えを出せない教師とは何なのか?

 

 単なる風邪ウイルスに怯える人間が、命が危険に晒される学校という場所には平気で行けるわけで、これこそが洗脳の恐ろしさではないかと思います。

 

 心頭滅却すれば火もまた涼し・・・というバカげた言葉がありますが。まさに心と頭を殺せば、人を殺すことさえ気にならないのでしょう。それは、単なる獣であって、もう人間とは呼べないのではないかと思います。

 

 しかし、見た目は人間に見えるから誰も気づかないのです。

 

 何かに一生懸命になることを学校は推奨します。何故だか分かるでしょうか?それは、バカになるからです。かつて、日本では何かに没頭する人間は~バカと呼ばれました。

 

 野球バカとか、勉強バカとか、仕事バカという感じです。

 

 バカになるとある意味扱い易いのです。それさえさせていれば・・・つまり、後は何も考えないし。自由に操れるのです。それは、もはや人間というよりペットやロボットというレベルだと思います。

 

 そして、そういう人間を称賛することで世の中にバカを増やせるので、世の中を動かしやすくなるという事になる。これを国家が欲しているのです。

 

 そして、そういうバカがお金を沢山持てばどうなるのか?

 

 誰だってバカになりたいと思うし、バカはお金の使い道を知らないので、誰かの言うなりに無駄にお金を使えば、経済が活性化するのです。そうやって、バカな国民をお金で縛っていくことが出来るのです。

 

 そして、バカはそうされても気づくことは出来ないのです。

 

 学校や国家が推奨することは、我々にとっては拙い事なのです。だから、学校や国家の言う通りに生きていくと大変な目に遭う。そして、最期は不治の病に侵され命を奪われるのです。

 

 生き物には本来不治の病など存在しない。だって、生きるためにあるものだから。人間が自然の掟を破ることで不治の病を作るからそうなるのです。

 

 この世界で神をも凌ぐ賢い人間を、獣の様なバカに劣化させることに依り、全ての苦難と不幸が人間に降りかかるというだけのこと。

 

 こんな「たかが~~」という事で思い悩み命さえ捨てるという全くもって理に反することを平気で行うほど人間はバカになっているのです。

 

 もちろん、人間がバカになることで得する者が居るからです。人間が賢くなっていけば、犯罪も病気もどんどん減っていくのではないでしょうか?

 

 自分たちの行動で自分たちの状況を判断できない事が最悪なのです。

 

 頭が良いとはテストの点数が良いとは全く異なるのです。本当の頭の良さとは、あらゆる困難を解決することが出来ること。それはどういうことかと言えば、人生を楽しく生きていける力を持っているという事です。

 

 私たちは何のために生まれて来るのでしょう????

 

 この問いの答えが全てを決めるのです。そして、その答えの通りに人生は進んでいく。そして、誰もがその答え合わせを最期に迫られることになるでしょう。

 

 最後の審判は、神でも世間でもなく自分で下さなければいけないのです。そして、その審判を下したくない人は、自分の脳を消していく。これによって痴呆という状況が起こるのではないかと思います。

 

 病は常に気からなのです。全ては自分次第。賢い自分になるのか、バカな自分になるのか。しかし、そこで選択を間違うのです。何故なら、騙されるから。賢い自分になりたいと思う事で学校に騙される。

 

 人間の欲望に沿って詐欺師は現れるのです。

 

 この人生最大の選択で一体何を間違えたのでしょうか?

 

 それは、人間とは誰もが本来賢いという大事なことを忘れていたという事だと思います。それはきっと、自分が未熟だからそう思うのでしょう。

 

 そして、賢いと思う誰かを尊敬し真似ることで、結果的に賢い自分を殺しバカな自分を作ってしまう。

 

 何かが出来ることが優れている。何かが出来ることが賢いという思い込みが間違いの元ではないかと思います。

 

 何かが出来ない事。何かが劣ることこそ、我々が賢くなる源である。劣ること出来ない事を知ることで賢くなれるという事を誰も知らないのです。未熟だからいくらでも熟することが出来るという事を知らないのです。

 

 出来ない事劣ることがあることに喜ばなければいけない。

 

 根本的に今の認識は間違っているのです。それを私は「アベコベ社会」と名付けました。そして、何かが出来ない事で卑下し叱られ命を落とす。

 

 逆なんですよ。何かが出来ないことで、喜び褒められ出来る様にするために生きていく。そうやって、出来ない事を一つずつ出来るようにする為に人生はあるのです。

 

 それを根底から覆すのが資本主義と言う全てをお金で見る世界という事になるのです。そして、その狂った考え方がアベコベの発想をもたらし人間を死に追いやる。

 

 そして、その先に少子化からの人口減少と人類滅亡があるのです。生きる価値のある人生を生きる価値のない人生に見せてしまう資本主義という人類滅亡へと向かわせる思想を止めなければいけないのです。

 

 それを根底で支える学校教育とその制度を現実のものにする国家。学校教育を止めることで国家は衰退し資本主義も終わる。しかし、今の流れは、資本主義が行き詰り国家が破綻し学校教育の意味がなくなるという流れになっている気がします。

 

 壊れるモノを嘆く人が多いですが、それにはキチンと理由があるのです。それは偽物であったという事。私たちには不要であったという事です。何事も必要で生まれ不要で捨てられる。

 

 そうした移り変わりに一喜一憂するのではなく、その変化を自然として受け入れ新しい世界を作っていくことが私たちの責務であると思います。