人口80億人になった地球はこれからどうなる? 20カ国で人口が半減するとの予測も(ナショナル ジオグラフィック日本版)  

 

 

 

>出生率を低下させる最も大きな要因は教育、それも女子への教育だ。
>10年以上前の2011年7月29日付で学術誌「Science」に発表された論文
>は、世界的に教育の機会を拡大することによって、人口増加を今世紀
>半ばまでに10億人減らすことができると結論付けた。
 
 個人的には、学校教育は資本主義の洗脳をする為にという考えであったが、確かに女子教育は少子化の直接的な要因となる様に思う。しかし、人口を減らす目的で女子教育をしてきたとしたなら、それはそれで恐ろしい気もする。
 
 個人的には70年代に起こったウーマンリブ運動が世界を変える大きな流れであったと思っている。色んな意味で女性の人権を蔑ろにしてきた男が悪いのだが、女性の権利を主張したことで、社会は壊れたと思う。
 
 もちろん、そういう行動を引き起こさせたのは資本主義教育であり、お金が中心の世の中にすることで、誰もがお金に目が行ってしまったことに依るモノだと思う。
 
 人間の評価をお金ですること自体全くナンセンスなのだが、お金を持つことで良い暮らしが出来、それが人間としてのステイタスに思うようになることで、そのナンセンスが価値を持ったと思う。
 
 何度も書いているが、学校教育で人間は成長しない。むしろ、劣化し退化する。だから、そういう見た目の良さに目を奪われる羽目になるのである。
 
 お金こそ権力であり、他人をひれ伏させる力を持つものだ。それは人間の力を意味するのではなくお金の力であり、お金を失えば消えるものである。つまり、偽物だという事。
 
 何故、そういうモノに縋っていくのか私には理解できないのだが、偽物でも気にならない人が多いのは確かであり、その偽物が偽物だと思えないからそうするのかもしれない。
 
 そして、女たちは男と対等になるのを目指してお金を得ることに励むようになった。これがきっと過当競争を生み出す原因となっているのだと思う。
 
 お金を得るというのは、何度も書いている様に、持っている他人から奪うという行為になる。要は、仕事という名目でお金の争奪戦に精を出しているという事だ。
 
 奪い合うというのは正に戦争であり、かつては男と女は運命共同体として家族の核になっていたが、結果として家族の核が奪われたのではないかと思う。
 
 家族が壊れることで子どもたちも壊れる。そして、壊れた子どもたちが大人になれば、家族を作ろうとはしなくなるし、仮に作っても長く維持することは難しくなるだろう。
 
 だって、壊れている家族しか知らないのだから・・・・
 
 何故、女たちは対等を目指すのか?きっと、彼女たちの先生が煽ったからに違いない。
 
 人の上に立つ人と人の下に居る人。この両者で本当に偉いのは、人の上に立つ人ではなく人の下に居る人なのだ。
 
 実ほど頭を垂れる稲穂かな・・・・という言葉を知っている人は多いのかもしれない。つまり、中身のある人間ほど頭が低いという事だ。人の上に立って威張っている人ほど頭が軽い。要は低能ということ。
 
 つまり、バカな男と張り合った時点で女は男と同じレベルに劣化したことを意味するのである。昔の日本の女は夫を支えることを一番にしていた様に思う。
 
 それを内助の功と呼ぶのだが、そういう内助の功によって男たちは力を発揮できたのである。しかし、今や男たちに内助の功はなく能力は低下している。
 
 かと言って、社会に出て来た女たちに、それを補う能力はない。何故なら、内助の功を失った男たちと対等だから。
 
 人間というのは実に弱い生き物である。一人では何にもできない。従って、誰かの助けが居るし支えが居るのである。人という字にそう書いてあるはずである。
 
 支えを失った人間はどうなるのか?
 
 それを今私たちは自ら体験し、見せつけられている。この奪い合いの世界で命を削って生きている状況を見れば分るのではないだろうか?
 
 そもそも、結婚とは対等にするものではない。相手を支えたい、力になりたいと思うからするものではないのだろうか?しかし、今やそういう夫婦がどれ位いて、そういう中で夫婦に支えられてのんびりする子どもたちがどれくらい居るのだろうか?
 
 きっと、社会の戦争状態は家庭内にも及んでおり、鬼の様に厳しい教師と化した親が我が子に愛情という名目で虐待しているのではないだろうか。
 
 鬼にならないと生きていけない社会であれば、鬼になるのではなく、社会を変えて鬼にならないで済むようにすべきではないかと思う。
 
 しかし、学校では一切そういうことは教えない。ルールを守り秩序を守り、この世界に馴染む事のみを強いて来ているから。
 
 その結果、誰もが本当の自分を忘れ、なりたい自分を忘れ、知らぬ間になりたくなかった酷い大人になっているのではないだろうか?
 
 それはきっと、全て社会のせいである。学校教育のせいである。そういう学校教育を施す国家のせいである。
 
 しかし、そういうことを口にすることは愚か考えることさえ許されないのかもしれない。そんなことより、今自分が出来ることをやるのみ。そうやってなりたくない大人に誰もがなるしかないのかもしれませんね。
 
 だけども、時代はそれを許さなくなってきているのではないかと思います。だって、これまで築いたモノが全部壊れていくので。もはや、我々が守るべきものは無いのかもしれないし、守ることも出来ないのかもしれませんね。
 
 だとすれば、やれることは一つです。
 
 新しい世界を作る。この事だけは何時だって残される最後の手段ではないかと思います。そして、それは最良の手段でもあると思います。