私たちは「時代ガチャ」に外れた? 若者が屈託なく「親ガチャ」を使う危うさを社会学者が指摘(All About)  

 

 

 人をガチャで表現するようなことをやってはいけない。確かに、そういう感じはするかもしれないけど、飽くまでそれはそういう感じがするだけの事に過ぎないから。

 

 大抵の人は知らない。特に若い人ほど知らない。

 

 それは何かと言えば、何が良い事で何が悪い事か。全ては一面ではないのです。何事も色んな側面がある。

 

 例えば、裕福な家庭に生まれたら良い大学に入りやすいと思うかもしれないけど、何不自由なく生きて来た人間は、それが当たり前なので感謝の気持ちが育たない。

 

 そして、簡単に何でも手に入るので努力をしなくなる。そういう人が社会に出たらどうなるか想像できるだろうか?

 

 条件が良い事が良い結果をもたらすとは限らないのだ。むしろ、悪い条件が人を成長させ良い結果をもたらすことが多い。そういうことは大人なら大抵知っているのではないかと思う。

 

 しかし、子どもにはそれが見えないし知らない。だから、今ある状況で全てを判断するしかないのだと思う。

 

 だが、人生は実に長い。そういう中で例えば若い時期に花を咲かせてしまうとその後の人生が苦しくなる。若い内に沢山苦労して歳を取ってから花を咲かせれば大きな花になる可能性が高い。

 

 それを選ぶのは自分。世の中には色んな人がいるから、そういう人たちを見て自分で決めるしかないが、そもそも、自分が裂かせる花が何なのかを若者は知らない。

 

 そういう若者がついつい他人の花を真似ようとして失敗する。学びを教えられた人は真似ることが上手であるから、そういう失敗をたくさんすることになる。

 

 そこで、真似てはいけない事を知る事になるのだが、それに気づかなければ何をやっても上手く行かない時間が続くことになる。

 

 人皆違う・・・・

 

 だから、他人を見ても人生の設計図はない。仮にそれを盗用すると酷い目に遭う事になる。今酷い目に遭っている人はそれが原因だと思って間違いないだろう。

 

 自分の道は自分で切り開くしかないわけで、そうなれば他人が関係ない事が分かるのではないかと思う。それが分かった時がスタートライン立つ時だと言えるだろう。

 

 それが何時になるかを誰も知らない。そこが苦しい原因だろうけど、その苦しみを逃れては何も実にならない。その苦しみが大きければ大きいほど実は大きくなるだろう。

 

 幼い頃より先生の指導で生きて来た人間が、自分一人の力生きていけるようになるには相当な苦難を要することになる。自分で考えて行動するという人間として当たり前の行動が出来る大人になる為に。

 

 還暦を迎えた時に、どういう自分で居たいか?その初心を何かに書いて残して置くと良いと思う。長い道のりではあるが、過ぎてしまえばあっという間である。

 

 二度とない人生を他人に支配されることなく生きていければ、それが正解だと言えるだろう。そのことが分かるのが還暦という節目だと思う。